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不可逆性~『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』~

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 ちょっと前に、『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』を観ました。前の3作も観てきましたので、ついに終わった、という感じです。

 そもそも、TVゲームのPERSONA3からプレーしてきた身としては、10年近く同じ作品を楽しませてもらった、というのが正直なところです。時期はずれではありますが、いつも通り、ネタバレ全開でレビューします。

 

 

 

 まず、この映画の一番の売りは「絵の綺麗さ」だと思っています。

 一つの場面場面が、一枚の絵として見た時に、非常に美しい。特に#4の今回は雪のシーンが多く、CGを多用しながらもセル画と丁寧に溶け込んだ雪景色は素晴らしいの一言。この絵画のように美しいシーンの連続は、#2からきっちりと描かれてきたように思います。そしてこれは、ゲームでは難しかった表現だと思います。そういう意味で、ゲームのアニメーション映画化として、やった意味はあったと思います。と言うよりも、この作品が映画やアニメーションとしてゲームの外に出す意義というものが、結局はそれ以外にはなかったのかな、というのが正直な感想です。

 例えば、大幅に設定などを変更して、この作品の持っているテーマを掘り下げるようなことがあれば、なるほど映画化してよかった、意味があった、と言えるのかもしれません。しかしながら、今回の映画化ではそこまで抜本的な改変ではなく、どちらかと言うとゲーム(本編)の雰囲気を出来るだけ損なわないよう、できるだけ美麗な映像を作ることに注力していたに過ぎないからです。

 ただ、それだからこの作品がダメな作品とは思いません。絵の綺麗さ、この本編に幾度と無く現れたテーマ、それらを描き出すある意味絵画的な絵の美麗さは、それだけでこのゲームをもう一度映像化作品として世に出しても問題はなかった、と思います。本編ファンへの久方ぶりのご褒美としては、悪くない作品であるとは思います。エリザベスのシーンなんかは、もはや微笑ましいだけで、物語の勢いを削ぐくらいにしか思えませんでした。もしも、この作品をより映画として完成させようという気概があるならば(#2は、その意味では一番良かったかもしれません。改変の仕方もスムーズでよかったです。異様なまでのBL臭にビビりましたが)、もっと物語そのものに手を加えても良かったのに、という思いがあります。もうだいぶ時間も経っているんだし、そういう驚きを提供してもいいのに、というのはひねくれたファンのひねくれた考えなのでしょう。また、トリニティソウルの商業的な失敗も、それができなかった遠因かも知れません。

 とにかく、映画としては、70点。ですが、ファンとしては80点。

 

 ここからは、本編への徒然とした思いを書きます。

 『PERSONA3』というゲームはその世界観と、恐ろしくマッチしたゲーム設定、バランス、どれをとっても素晴らしいの一言でした。リメイクの度にその完成度も高くなり、PSPのリメイクに関しては、ゲームとしての没入感は増していたように思います。

 しかし、それ以上にゲームとして完成していたのは、その次の『PERSONA4』でした。『PERSONA4』は3のシステム上のいらいらを全て解消し、スッキリとUIもまとめあげ、ゲームとしての心地よさは当時でもトップクラスでした。今でも、その思い切ったUI回りや、システムには驚きます。尚且つ、3の舞台や物語にあった粉砂糖のように甘ったるい世界観(究極の中二病的世界観)からも脱却し、より幅広い層に支持を得られるようにもなりました。事実として、映像化(アニメ化)は3よりも4のほうが先でしたし、その後のメディア展開、よくわからない続編のオンパレードなど、4のほうがより消費者に求められる作品に昇華されていた、ということを表しているのではないか、と考えています。

 ただ、僕は3と4は、やはりよく似ているなぁ、と感じるというか、ほぼ同じ話を作り替えてるのではないか、と最近考えるようになりました。

 もちろん、3と4は同じ世界の話ではありますが、この作品は物語は別個のものとして進んでおり、3に出てきた世界の終わりであったり、影時間という概念はなくなっています。代わりに出てくるのはテレビの世界(マヨナカテレビ)と呼ばれるもので、文字通りテレビの中に入り込んで、主人公たちは自分たち、もしくは登場人物の心の闇を取り除いていく。もしくは、悩みなどを解消していく、という筋です。3では夜な夜なタルタロスという謎の建造物で、よくわからない異形共とドッタンバッタンの叩き合いをしていたことに比べると、何の接点もない別世界に思えます。4のほうが、より卑近な物語に思えます。

 しかし、3も4も、【世界を救う】という意味では、あまり変わっていないのではないか、と思います。これはつまり、「世界とはなにか」という問題につながるかと思います。3では、世界とは文字通りの世界であり、全世界のことです。ただし、その描かれ方は、ある意味で卑近でした。つまり、無気力症の患者が増えている、という目に見える形でそれを表現していました。そして、本当の世界の動き(町の外の動き)は、寮にあるテレビでしか知ることは出来ませんでした。(ここも、ある意味で面白い接点である。3では世界を知るための装置だったテレビに、4では入っていくのだ)そして、高校生においての世界というのは、ある意味でそういうものでもあるわけです。4の世界とは、あくまで稲葉市という田舎の町の中だけです。3とは規模が全く違うように見えるかもしれませんが、高校生や子供の世界というのは、それくらいのものなのです。それは視野が小さいとかそういう意味ではなく、そういうものなのです。だから、商店街の話し声、うわさ話、それらの差異で世界というものはガラリと姿を変える。高校の友だちの話す態度で、まるで世界から突き放されるように感じる。大人から見たら些細な事ですが、それも世界の一つの表れ方なのです。そういう意味で、3と4の世界というのは、ある種地続きで、物語も同じ筋道と言えます。

 3も4も主人公は転校生です。そして、3の主人公は死に、4の主人公は都会へ帰っていきます(GOLDENではその後がありますが)。これも、高校生からしてみたら、街から離れるというのは、死別に近いノリがあります。ただ、どちらも別れがあるからこそ、それまでの過ごした時間というものが尊く、また戻ってこないからこその悲しみもあります。

 影時間やマヨナカテレビというのは、ある種時間を止めている時間とも言えるわけです。その間、世界は主人公たちの課外授業のためだけ、モラトリアムのためだけに存在しています。3ではその存在の打倒に向かうという、非常にアンビバレントな状況を主人公たちは嘆く場面もありました。4ではそこら辺はアッケラカンとしていましたね。と言うより、3がセカイ系だったのに対し、4は日常系の作品だった、とも言えるのかもしれません。いつかは終わる、と言いながらも、4は幾度も蘇っているし。

 ただ、3ではそこをきちんと描き切っていました。FESという、3の続編では機械人形だったアイギスを主人公に、3で死んだはずの主人公の魂を助けに行くという物語が進行します。どこぞのファイナルファンタジーならば、真のエンディングで主人公が蘇るなどもあるかもしれませんが、この作品はそうはしませんでした。殺したままです。だからこそ、主人公がこの世に生きた意味が付与されるという、あまりにも悲しい終わり方でした。ただ、物語としては、文句のつけようのない終わらせ方だと思います。冥界巡りをモチーフにゲームを作り、ここまでやりきったことは、ほんとうに尊敬に値することだと思います。

 それに比べると、4の物語はそこまでの深みはありませんが、ただ描いている内容はそう変わらないな、と思います。逆にまとまっていて、スッキリとわかりやすい、腑に落ちる話にはなっていると思います。中二臭さもあまりありません。

 ただ、それでも僕は3にもより優れた部分があり、それは製作者サイドも考えているんじゃないかなぁ、と映画を見て思いました。

 映画で何度も絵として表現されたシンメトリー。対峙する何かが、画面の右と左に分かれている構図。これは、この作品を通じて表現されている生と死の比喩でもあるわけです。そして、主人公たちが通う学校の校訓は「調和する2つは、完全なる1つに勝る」というものですが、生と死はどちらも調和がとれているからこそ、この世界は成り立っている、といえるのです。

 何かを失うということは、何かを得ることと同じなのではないか、という哲学的な問にも似ています。何かを喪失して、初めて存在が付与される。もしくは、在と不在の関係性にも似ています。未来を得るということは、何かを失っていることと不可分です。しかし、生きるということは、何かを失い、そして何かを得るという、この両翼で必死に藻掻いていくことに他なりません。

 ストレガもまた、主人公たちの生の一部であり、最後に現れたシャドウもまた、この世界の一部といえるわけです。それらを打ち倒し、生を勝ち取ったかに見えた主人公は、静かに息を引き取ります。そして、全てを許し、慈しむように、エンディングが流れだす。今までゲームの中で過ごしてきた時間を噛みしめるように。もう最高。

 4も良いけど、3のこともたまには思い出してあげてください、と思っていた僕には、いい映画体験でもあり、また色々なことを考えることが出来て、良かったです。またゲームもやろう。

 それでは、こんな所で。