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【ネタバレ】生きとし生けるものすべて~『レヴェナント』を観て~

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 映画『レヴェナント』を観てきました。

 アカデミー作品賞をとった、ということもありますので、非常に楽しみにして行ってまいりました。

 ネタバレ全開で行きたいと思います。

 

 

 

 まず、映画として本当に最高の体験ができると思います。

 この作品は題材的には3Dで観る必要はないようにも思いますが、映像の素晴らしさ、美しさ、そして大自然の持っている「人間を全く顧みない冷酷さと優雅さ」を描き切っており、そのすばらしさを感じるためにも3Dで観ることも考えたほうが良いと思います。

 坂本教授が「本当の主人公は自然ではないか」とインタビューで答えていましたが(公開前なのに、完全ネタバレのインタビューで笑ってしまいましたが)、その言葉に偽りなし、といったところ。

 そして、アメリカの裏の顔というか、最近は題材にされていない開拓史を描いていることも、すごく面白かったです。テイザーくらいしか予備知識を入れずに観たんですが、すぐにインディアンが襲ってくるので「あ、これ、アメリカか」と分かります。ただ、分かったとしても、「これ、アメリカか?」と訝しく思ってしまうほどに、今のアメリカからはうかがい知れない側面でもあります。

 そもそも、インディアンが強すぎる、と言うか、怖すぎる。僕は寡聞にして知りませんでしたが、確かにアメリカ人(開拓者)にとってのインディアンとは、こういった存在だったのかな、と思いました。だからこそ、あそこまで迫害されたのだ、と。それくらいに恐ろしく描かれていました。なんというか、話が全く通じない感がひしひしと伝わる感じです。それは言語が通じないとか、そういうレベルの話ではなく、見ている世界観、前提が全く違う、ということです。

 途中で、フランス人とインディアンが物々交換の交渉をしているシーンが有るんですが、それがまさしく、言語は通じているけれども、考え方が全く違うシーンになっていると思います。もう、話が通じない。マジで。

 ただ、ここでは全く話が通じないこのインディアン、動いている動機は主人公と似ている点が何度も映画中に出てきます。それが「娘を取り戻す」というものです。だから、僕らがディカプリオを通じて観ている話に似ているのに、なんか理解できない。それどころか、その執拗さが気味が悪いくらいになっている。ただ、ディカプリオも、最終的には同じ境地に達します。最後、トム・ハーディを追いかけさせてくれと隊長に頼むシーン、隊長と話しているディカプリオは、もはやあのインディアン達と同じような存在でした。もはや、全く話が通じない、生きている世界が違う存在。

 

 イニャリトゥ監督は、前から一貫したテーマってのがあるのかな、というふうに思っていたのですが、今回の映画を観て、広義の意味での「自然と不自然」を描こうとしているのかな、と思いました。異質なものと異質なものとの邂逅を通じて、それが結局は止揚していく様を描こうとしているというか。なんというか。細かく見ていくと色々と違うんだけど、遠くから見てみると、全ては自然な成り行きにそって進んでいく、という物語を描こうとしているのかな、と思いました。

 例えば、今作に幾度と無く出てくる大河。映画の始まりは、その川の流れをじっと映すシーンで始まるのですが、その流れ自体は自由気ままで、奔放な自然として目に映ります。しかし、それが次第にカメラが離れていくと、結局は大きな流れにまとめあげられて見える。

  それは今作で第二の主役とも言える、様々に用いられるサバイバル技術もまた、基本的には「自然から何かをもらいながら生きていく」ということに他なりません。人間は不自然な存在なように思えて、結局は自然の中で自然と共生しているとも言えます。それが、何かを食べるであったり、大河でディカプリオがすがりついた大木であったりするのかな、と。

 この映画で、主人公は多くのものに助けられますが、それと同じく多くのものを無くします。もちろん、子供もそうですが、主人公が歩く度、どこかへ行こうとする度に、何かを食べ、誰かを失い、そして主人公だけが生き延びる。その姿が圧倒的な威力で画面に焼き付いている。

 『バードマン』の撮影の仕方から、また新たな世界を見せているな、とも思います。どうやって撮ってるんだろう、と思わずにはいられないですね。

 

 あと、これは撮影方法の一つというか、ただ凄いと思ったのは、息でカメラが曇るところですね。これ、凄いというか、マジかと思いますよね。絶対、カメラを曇らせるのってダメじゃないですか、普通に考えたら。それをやる。

 僕実は、今回の映画を見る少し前、あることが原因でイニャリトゥ監督の評価を少し下げていました。それは、マッドマックスアカデミー賞をとったある人の服装について、すごいイラッとした視線を投げてたことに、個人的にはガッカリしたからです。

「イニャリトゥ監督って、作品自体は凄い権威に対して向かっていく作品が多いのに、そんな服装なんか気にするの?」と思ったからです。

 ただ、この作品を見て、その考えを改めました。なぜなら、イニャリトゥ監督にしてみれば、外見とかで反旗を翻すことにはあまり意味は無い。そうじゃなくて、作品でこそ語るべきなんだ、という意識があるんじゃないのかな、と。勝手にそう思いました。ドクロマークの服なんか着てなくても、俺は権威に対していくらでも牙を剥いてやるし、その結果として、権威に認めさせてやるぜ、という勢いを感じました。

 それが、このカメラが曇るシーンですよ。別にこれって、うまいとか、新しいとか、そういうことじゃないと思うんですよね。しかも、例えば画面が曇りでホワイトアウトして、次のシーンに移るとか、そういうものでもないんですよ。ただ曇ってるんですよ。風呂にも入ってねーきったねーレオナルド・ディカプリオの臭そうな息で、画面がただただ曇ってるんですよ。

 ただ、これが自然だ、というのも分かるんですよね。で、これを凄いと思わせるだけの持って行き方というか、そういう技術がすごいんじゃないかな、と思いました。

 

 個人的には、90点です。