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ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】僕らはみんな欠けている~『ヒックとドラゴン』を観て~

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 メチャクチャ評判がいい作品なんで、食わず嫌いをしていた作品でした。

 しかしながら、見てみると最高にいい作品でした。個人的には85点です。

 以下、箇条書き。

 

 

・みんないい奴

 初期のヒックのクソ野郎っぷりが際立つほど、大人も子供もみんないい奴ばかり。特に父親が素晴らしい。威厳と優しさに満ち溢れていながら、不器用で子供にどう接していいかわからない。その塩梅が素晴らしすぎて、開始数分で涙腺が緩む。

 村人たちも、バカにしながらも「こいつが死ぬのは嫌だなぁ」と思い、だからこそ主人公をドラゴン退治から遠ざけている。つまりは、彼らも主人公に対して凄く優しいのだ。

 ただ、だからこそヒックは、その優しさこそが嫌なのだ。優しくされるのは弱いことで、それは自分の欠点を見られているだけなのだ。

 だからこそ、彼はその欠点を否定すべく、他人の優しさを否定する。その時点では、ヒックこそがこの作品の悪役といえる。

 

 

父親の、母の兜

 この父親の存在が本当に良かった。

 特に、最後の戦いが終わった後、主人公の心臓の音を確かめるために兜を投げ捨てるシーンが胸に残る。

 あれは妻の鎧から作った兜であり、いわば彼の死者に対する思いを表したものだった。しかし、それをかなぐり捨て、今生きている息子の鼓動と真正面から向き合ったのがあのシーンなのだ。

 それは、ドラゴンを目の前にして兜を脱いだ主人公と被る。

 

・主人公とトゥースの関係性が良い

 主人公がある意味欠点だらけの存在として登場しつつ、トゥースもまた欠点を持った存在として登場する。翔べないドラゴンという欠点を持った存在として。

 そして、主人公もまた欠点を持った存在として、二人は出会う。

 この二人の関係性は、少し複雑だ。主人公はトゥースからドラゴンの習性を学び、トゥースは主人公がいることで食事にありつけ、尚且つ空も飛べる。ある意味、ここでは補完関係ができている。

 最後の戦いの後、主人公の片足が無くなって、初めてこの二人は対等になる。互いに互いを補い合うことができる、という見方がおそらく正しいのだとは思うが、個人的にはそれは可視化されたにすぎないのではないか、とも思う。

 主人公は、もともと何かが欠落していたように思われた。それは、自分を認めることが出来ない、という自己の欠如である。

 彼にとって、理想の自分でない今の自分は欠けている存在であり、理想の自分になるまでは自分を認めることが出来ない。理想の自分とはなにか、それは「ドラゴンを殺せる自分」である。果たしてその理想は、最後まで叶わない。それどころか、「僕はドラゴンを殺せない人間なんだ」と自覚するようになる。

 ここで重要なのは「だから、理想像を変更する」ことではない。この映画は「理想ではない自分を認め、許す」方向に動く。だからこそ、感動が生まれるのだ。

 そこでトゥースの存在が生きているように感じられた。トゥースから学ぶ様々なこと、ドラゴンとはなにか、自分たちが考えていたものとは全く違う現実が目の前に転がっている事に気が付き、主人公は理想(ドラゴンは殺すものという理想)自体を疑問視していく。それを教える存在としてトゥースの存在はある。そして、その存在は主人公の鏡なのだ。

 だから、ヒロインは主人公がトゥースに対して行った同じ疑問を投げかける。「なぜ殺さなかったんだ?」と。主人公はトゥースにそう聞き、ヒロインは主人公にそう聞く。主人公の言っていることは、ある意味で正しい。あの時殺しておけば、トゥースは理想的(ドラゴン的)な死に方をしていたのかもしれない。逆に、トゥースが主人公を殺していても、それは理想的(バイキング的)な死に方だったかもしれない。

 しかし、彼らは理想的にはなれず、結局は互いの弱さを前にして何も出来なかった。

 

・義足の意味

 映画のラストで主人公が義足になるシーンもこの映画の白眉と言える。もちろん、トゥースと支えあいながら歩くシーンは涙なしには見れなかった。

 ただ、このシーンの前からこの二人は支えあっていた。だからこそ、それが可視化されただけにも思える。ある意味、自然に二人が寄り添っているのは、前からずっと支えあっていたからなのだ。

 

 義手、義足のキャラクターとして出てくる先生もまた、この映画の重要なキャラクターだ。ある意味、一番重要かもしれない。彼こそがこの映画の答えだ。彼はもちろん、自分の体が欠如していることを自覚している。しかし、それをこそ武器に使い、なにも恐れることのない生き方をしている。その彼が言っている言葉こそが、この映画の肝だ。

「なりたいものではなく、なれるものになれ」

 結局、主人公は彼の言うとおりの存在になったといえる。主人公はドラゴンを殺せる人間ではないことに自覚し、最後にはドラゴンに乗り、ドラゴンとともに歩き、共に生きていく人間になる。それは彼の理想ではないが、主人公はそうするしか出来なかった。

 そして、そうせざるを得ない自分を許し、認めることができるようになった。それがこの映画で主人公が得た成長だろう。

 だから彼は、義足について最後に笑いながらこういったのだ。

「うん、もうちょっとだね」

 自分の欠点を認め、それを笑いながら見つめることができる。

 それが生きるという事なんだ。