ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】手段が目的となる場合もあるが、やり切らないと意味が無い~『ミュージアム』を観て~

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 小栗旬主演の『ミュージアム』を観てきました。なんか、マンガも連載当時はちょっと話題になっていたように思いますが、最初のほうしか読んでません。結末も知りません。

 観て思ったことをつれづれ書いておきます。

 

 

 

・ショッキングな映像は少ない。

 セブンのパクリ、という評価そのもの。ただ、ショッキングな映像は日本に合わせて和らげている。妻と子の生首(偽物)を見せたのは良かったが、その後すぐに「偽物です」となったのは本当に残念。あそこは殺して食べさせたほうが良かったと思う。少なくとも、映画として振り切れたと思うし、別に生きてたからといって面白いわけでもない。逆に、犯人が何をしたいのか全くわからなくなった。

 別にそれ自体が悪いわけではない。日本的な怖さというより、ハリウッド的な映画を目指しているように感じた。ただ、雨のシーンが多いならもっと日本的な怖さにしたらいいのに、とは思った。日本にしかできない『セブン』リメイクという企画なら、ある意味意欲的でいいとは思うが、そうではない。あまり意欲的とは思わなかった。10年遅いくらい。

 

・基本的に気にかかることが多くて映画に集中できない。

 冒頭から3つ挙げると

 

 一番最初の現場シーン。

 すごく雨が降っているのに、登場人物たちは普通の声量で話している。もっと大声で話すとかにしないと、オーバーダブで声を被せてるように見える。そもそも、小栗旬は口と声があってないように見えるシーンが有る。もしかして本当にオーバーダブなのではないか。

 

 被害者の彼氏に、若い刑事が詰め寄られるのを止めるシーン。

 小栗旬はなぜか若い刑事の肩に手を置いて止めた。アレは何だったのか。あれだろうか、若い刑事が相手を殴り飛ばそうとするのを抑えたのだろうか。ゴルゴ13みたいに、触れたものをぶん殴る性格だったのか。あまりにも異様だったので何かの伏線かと思ったが、全く何も無かった。

 

 若い刑事が「まだ眠れないんですか?」と聞くシーン。

 この映画は小栗旬が寝てるシーンから始まってる。一体なんで寝てないってことになるんだろうか。そもそもこのセリフが出てくるということは、なにか眠れないほどのトラウマになるような事件が映画よりも前の時系列で存在していないと出てこないが、そんなことは語られない。「不眠症、治りませんか?」とかならまだいいかもしれないが、現場で吐いてる新米にそんなこと言われたらぶん殴るだろう。

 

 こんな小さい事件が結構立て続けに起こるので、座席から腰が浮いてしまう。ちょっとずつ、セリフを削るなり、雨を弱めるなりしてくれたら問題なかった。と言うか、基本的に映画の本筋と関係ないところなので、何回か読みなおして削ってしまえばよかったと思う。

 

・犯人の人格造形が浅い。

 何かしらの、典型的な快楽殺人者的なものにしてしまっているせいか、ありきたりで魅力がない。『セブン』には聖書のモチーフがあり、それに沿った狂信者として描くことが出来た。今となってはありきたりにも見えるが、当時としては新しかったし、何よりもバックボーンがしっかりしていて、深みがあった。少なくとも、当時の社会に対しての何かしらの風刺の役割は担えた。

 それに比べて、今回の犯人には全く背景はないし、ただ自分の楽しみのためだけの殺人を行っていて、特に魅力はない。そもそも、表現として行っているはずの殺人に魅力がない。それは、かなり行き当たりばったりの殺し方しかしていないからだと思う。『セブン』は、罪の選び方に犯人なりの美意識や目的があったが、今作の犯人は罪人選びから面白みもないので、美意識がない。というよりも、目的がない。それでいながら、手段にもそれほど美意識を感じない。

 それこそ、最初に行ったとされる幼児を樹脂に詰めた殺人は、まだ芸術的な意味合いがあったので、あの方向性でずっとやるならまだ良かったと思う。あれ以降は血みどろで、全く美しくない。しょうもなく見える。

 そもそも、なにをしたいのか、何をもって芸術なのか全く見えない。主人公の妻と子供を殺さなかったことも謎だし、それで最後に妻と子供どっちをとるか、なんてそれまでの殺人でもやっていないことをいきなり持ち出したり、脚本自体が陳腐。小栗旬を閉じ込めて以降の話は、おそらくは『SAW』をパクったんだろうけど、だったら最初っからパクればいい。中途半端すぎるし、ここら辺でもう犯人に対して、ただの狂人として描くことしか考えてないように思える。犯人の目的がないことがそこに見て取れる。

 この犯人への意識の低さが、この映画の最もしょうもないラストにもつながっていると思う。もっと、この映画の真の主役として、この犯人に対して愛情を注ぐべきだったと思う。単なる敵ではなく、何かしらの社会の風刺として描くことができていたなら、映画館から出た後も何かを考える切っ掛けになったと思う。

 

・ラストの息子が新たな殺人鬼に?的なノリは不快。

 深いわけではなく 不快。

 なんか、主人公の息子も太陽アレルギーになったので、また新たな殺人鬼になるかもね、という感じの終わらせ方だけど、それは本当に紫外線アレルギーの人に失礼だと思う。

 つまり、作者は紫外線アレルギーの人は殺人鬼になるって言いたいのか? あの妻夫木みたいにカエルみたいな見た目になって、人を殺したくなる、と。冗談じゃないというか、全く違うというか、言葉が見つからない。

 そこに関してはフォローを入れているとしたら、犯人の妹が「そのアレルギーは心因性で、ちゃんとした環境なら治るよ」と言っていたことが、一応フォローになると思うんだけど、そう言いながら犯人をその手で殺すという、あまりにもなフォローの仕方。

 これは多分、きちんとした愛のある夫婦のもとで育った子供じゃないと、子供は不幸になりますよ、と言いたいんだろうけど、ちょっと伝わりにくい。というか、伝わらない。それは、犯人の描き方が浅かったからだと思う。犯人をもう少しでもきちんと描く努力をしていたら、最後のアレももう少しマシになったんじゃないのか、とも思うけど、それにしても不快であることには変わりないというか、もはや差別でしかない。そういう面についても、意識が低いと思う。

 

・やりたいことをやり切る映画なら、カルト的な評価は得られる。

 パクリばかりの映画は、全体の評価自体は低いかもしれないが、やりたいことが明確な分、一部のコアな評価も得られると思う。例えば、金城武主演の『リターナー』という映画があるが、あれはハリウッドアクション映画を予算数十分の一でパクろうとした映画だが、それでやりきろうと頑張っていた。それは映画体験としては、別に悪いものじゃない。製作陣はゲラゲラ笑いながらパクってたんだろうし、撮ってる間は凄い楽しかったんだろうな、と思いながらみる映画は、もちろん出来はひどくても、観た後そう悪い気持ちにはならない。それは、製作陣が本気でパクろうとしたからだ。この映画は、あんまり本気ではないと思う。少なくとも、ショッキングシーンの少なさ、パクリの底の浅さ、そこら辺から、本気度はいかほどだったのか、疑問に思わざるをえない。

 良い映画というのは、「この手段を使って、こういう映画を録りたい」という目的意識を持つものだが、「この手段を使いたい!」だけの映画だって、楽しみ方はある。ただ、やりきってもらわないと、こちらは楽しめない。