読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【雑感】人は時に、自分の一番長じたものをこそ疎ましく思う~紅白でRADWIMPSを観ながら~

 

 年末はだいたい格闘技を観ると決めているのだが、今年はRADWIMPSが出ていたのでそこだけは観た。

 そこで『君の名は。』の映像とともに『前前前世』を歌っていたわけで、やはりジンと来てしまったわけで、おいどんも男なわけで。

 

 というのも、自分が『君の名は。』に感じた感動というものの、7割位はRADWIMPSの曲によるものだったんだなぁ、と改めて考えたからだ。

 

・そもそも、RADWIMPSは4枚目までしか聞いていなかった

 つまり、別に大したファンではない。一応、映画を見た後に5枚目以降を聞き直したが、やはり良いと思えるのは4枚目以前まで。さらに言えば3枚目と4枚目だ。

 RADWIMPSについて、ざっくりとした分類は「ポスト・バンプオブチキン」で、バンプの歌が小学生の心情から見た恋愛観や社会への感想だったのに対し、RADは中学生くらいの恋愛観や社会批判だなぁ、と考えていた。ちなみに、それは今でもあまり変わっていないと思う。

 5枚目以降のRADWIMPSは、個人的には「中学生からの脱却をしようとして変なことをしてるけど、成功していない」という感想しかなかった。まぁ、変わった音楽をしようとして色々と試しているけど、あの気持ちよさがないなら聞く気にならない、というものだった。自分の良さを、自分の天性をこそ嫌いになる反抗期だったのかもしれない。

 そもそも、歌詞自体はそのままの幼さがあったので、曲自体をどれだけ変わったものにしようと、ゲテモノにしかならなかった、という感想。そういう意味ではロキノン的ではあるとは思うんだけど。

 

・『君の名は。』での先祖返り

 では、『君の名は。』ではどうだったのか。

 完全に、4枚目の頃の青臭さ、真っ直ぐさが帰ってきた、どころではなく、もはや「これバンプじゃね」と言われるほど、彼らの原点にまで先祖返りしていた。

 自分はわけもなくオープニングで涙腺に来たが、それは歌詞がそれについての言及に思えたからだ。

 オープニングの『夢灯籠』で、初っ端にこう歌っている。

 

 あぁ「願ったらなにがしかが叶う」 その言葉の眼をもう見れなくなったのは
一体いつからだろうか なにゆえだろうか

 

 ここが目に来た。

 その前に、イントロが始まった瞬間に「あれ、これって俺の好きな頃だったRADっぽいな」と思わせてからのこれはもう、まさにRADの今までの軌跡を一言で表しているように感じた。

 この言葉は単純に見えて、非常に複雑だ。なぜなら、彼らは自らの「子供っぽさ」を否定し、そこから脱出しようとしていたが、それこそがすでに「願ったなにがしか」でしかないのだ。つまり、彼らは子供っぽさから逃げられていないのだ。そもそも、子供らしさ、幼さから逃げ出すこと自体が非常に子供らしい。だからこそ、

 

 感情にハイタッチして 時間にキスを

 

 感情を捨て、ある意味で気持ち悪いキメラのような継ぎ接ぎの曲を作っていた人間が、自らが否定してきた感情にもう一度向かい合い、しかもその無駄にしてきたと思われるような時間にすら祝福を与える。

 

 5次元にからかわれて それでも君をみるよ

 

 周りには馬鹿にされるかもしれない。それでも、自分が決めたことをやるんだ、という子供らしさへの回帰。

 そして、君の名を今追いかけるよ、と言われた瞬間、僕は鼻をすすった。これはもう、RADWIMPSの主題歌じゃないか、と。

 彼らは、自分たちの今までの歩みを否定してはいない。逆に、今まで否定していたものをこそ、自分たちの一部なんだと受け入れ、認め、そこに帰ってきたのだ。

 物語の原型は元いた場所に帰ってくることだ、という話が最近有名になったが、このオープニングでRADWIMPSの物語が完成したようにすら感じる。

 

・歌詞での「君」とはもしかすると、彼らが忘れようとしていた幼さや、中学生っぽさだったのかなぁ、と考えると、非常に切ない歌にすら思える

 

 いつか消えてなくなる 君のすべてを
 この眼に焼き付けておくことは
 もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ

 

 何かがあげられると思う。もちろん、違うんだけど。

 ただ、基本的に彼らの世界観である厨二病的世界は、喪失をこそ物語の本質にしているので、幼児性や青臭さは代替可能な場合が多い。

 ただ、RADWIMPSがもしもそういった幼さを客観的に観ることができているとしたら、すごいいい歌詞をかけているのではないか、と思う。

 

 

・『人間開花』を聞いてみて

 正直、そんなに良くはなかった。ただ、帰ってきた感は強まった。英語で歌うのもそれを助長しているのかもしれない。

 

 

・『前前前世(original ver.)』で足された歌詞

 映画版と違い、途中に歌詞が足されているが、何故抜いていたのか。

 なんとなく考えたのは、あの部分が未来につながる歌詞だから、というものだ。これから歩いて行く、という部分は実は映画にはない。匂わせてはいるものの。

 それを映画の後に聞かせる、というのは良い演出だな、とは思う。そして、RADっぽいという意味ではこっちの歌詞が入っている方がらしいな、とも思う。

 

 とまぁ、今年もなんかいい映画や音楽を聞きたいなぁ。