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ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】上品であった~『美女と野獣』を観て~

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 ディズニーの実写版 『美女と野獣』を観てまいりました。

 ディズニー作品の中でも、やはり不朽の名作と言ってもいい作品だと思いますし、そもそも名曲が多い。子供の頃にVHSでよく観ていたこともあり、未だに曲を口ずさめたりすることもあり、楽しみに観に行きました。

 非常に面白かったです。

 以下、箇条書き。

 

 

・これ以上を求めるべきか

 良くも悪くも、ほぼアニメ版の枠をはみ出さず、きっちりとまとめ上げてきたな、という印象。アニメ版と変わっている所は、現代的解釈というよりは辻褄合わせのように感じた。特に、アニメ版では魔女の呪いから10年という月日が流れ、その結果として城が忘れられた、という説明であったが、10年位で忘れるもんでもないだろう、ということで「魔法によって記憶が改ざんされた」という、結構思い切った改変をしていた。それがエンディングでも忘れられずに解消されていたり、若干の伏線にもなっていたので、悪いものではないかな、とは思う。

 また、人種への配慮も完璧であり、もはやあざとさすら感じる。

 城の中のデザインが、なんか時空がゆがんでる感じがあって、おどろおどろしさが増しており、それ自体は凄く良かった。個人的には、FF8アルティミシア城っぽいなぁ、と思って笑ってしまったが。

 

・名曲はやはり名曲

 『朝の風景』から、『強いぞ、ガストン』、そして『ひとりぼっちの晩餐会』など、名曲はやはり名曲だし、最新のCGを駆使した『ひとりぼっちの晩餐会』を始め、アニメ版よりも趣向を凝らした『強いぞ、ガストン』など、音楽シーンについては大満足。というより、『朝の風景』が始まった瞬間、アニメを思い出して泣きそうになるという軽い誤爆

 新曲として入った『Evermore』についても、個人的には凄い名曲だと思う。製作者もそう考えたのか、エンドロールですら流れている。この曲を元に映画を作り直してもいいくらいだ。ただそうなると、全く別の作品になってしまうのではないか、という危惧すら感じた。それくらいの力のある曲だし、文句無しで名曲だ。そもそも、かなり情けない(褒め言葉)歌詞に、ちょっとウルッと来た。

 また、この歌詞にある「ドアを開けて待っている」ということが、後の襲撃への無防備さすらも説明しており、新曲として浮くこともなく、凄く考えられた作品であることも分かる。

 

エマ・ワトソンは良い

 『ラ・ラ・ランド』を蹴って、本作に出演したという話(本人はブチギレ)だが、確かに歌の感じなどは『ラ・ラ・ランド』に出ていても違和感なかったかも、と思った。たしかに、ハーマイオニーツンデレであった。

 最近の、なんか才女っぽい雰囲気で忘れていた。そして、ベルも若干ツンデレである。

 

 基本的に、古典作品を最新映像技術を駆使して作り直した作品としては、そこまで変なことをしているわけではないので、十分アニメファンも楽しめるのではないか、と思う。

 以下は、重箱の隅をつつくような話ばかりであれだが、気になった点の箇条書き。

 

 

・ベルの発明好きはあんまりいらなかった

 少なくとも、魔法側の人間にするんだったら、洗濯機の描写は不必要だったと思われる。

 この描写を入れてしまったことで、文明の進歩に対して開けているはずのベルが、魔法というものに対してすんなりと受け入れすぎているような気がした。

 あの時代に、科学的進歩を信じる、というのは、言ってしまえば新しい宗教を信じていることと同じだ。当時の人達にとって、科学と錬金術、そして魔術の違いなどあまりない。どちらも「異端」だからだ。それは科学を信じていない人間も、信じている人間も、どちらも同じだ。

 原作は、どちらかというと剣や魔法、おとぎ話の世界に夢中であって、新しい科学や女性の社会進出などは関係なかった。だから、どちらかと言うと、村の人達のほうが現実的であり、ベルの方が夢ばかりみている阿呆な娘、というノリであった。

 

・コグスワースの「時計に戻してくれ」発言は微妙

 ああいうギャグを入れることは悪いわけじゃないのだが、ここに来て「見た目で判断している」演出を入れるのはどうかと思われる。この話の土台である、見えない心にこそ美は宿る、という意味で言うならば、あそこはもうシンプルに「みんな良かったね」でよかったのではなかろうか。

 そもそも、心に美が宿るんだったら野獣のままでええやんけ、とは思うのだが。一応「ヒゲ生やすのもええんちゃう」というエマ・ワトソンのフォローはあったか。

 

 

・ル・フウを中心にしたら、とかいう妄想

 彼をゲイとして描きなおしたことは、素晴らしいチョイスだった。物語のアクセントになったし、ただの子分というよりも、彼がなぜガストンに付き従ったのか、という物語の仕掛けとしてよく機能していた。

 そして、彼の描き方も現在のLGBT問題に配慮した、非常に上品な描き方だったと思う。ただのガストンに心酔していながらも、心根は善良であり、物語の後も生きていくキャラクターとしては、そう悪いものではないと思った。

 しかしながら、僕が少し古い人間ということもあってか、もう少し踏み込んでみても良かったのではないか、という思いも浮かんだ。つまり、もう一人の怪物はガストンではなく、ル・フウにすべきではなかったか、という思いである。

 本来、この物語は「中身」の物語だ。人間とは見た目ではなく、その心の美しさこそを問題とすべきだ、というテーマについて語っている物語だ。それがディズニーによって作り直された『美女と野獣』という物語だ。そこでは、野獣とガストンが対比される二者として描写されている。見た目は良いが、中身はガサツで醜いガストンと、見た目は獣だが、実は繊細で教養もある野獣。この二人の対比が物語のテーマと関わっている。

 しかし、この物語を「異端を主軸においた」物語とするならば、ル・フウこそが「異端」であり、街の中で孤独を感じるていて然るべき人間だ。呪われた城で家来に囲まれながらも孤独に過ごす野獣と、明るい村で友人たちと過ごしながらも孤独に過ごす同性愛者のル・フウは、非常に似通った存在だ。どちらも、本当の意味で満たされていないからだ。

 また、どちらも変身願望を持っている。野獣は元の姿に戻りたいと願い、そしてル・フウはガストンのような男になりたい、と願っている。そして、二人ともその願いがかなわない。

 ル・フウの見た目も、超美男子に変えてしまっても良かったな、と思う。もちろん、アニメ準拠のぽっちゃりにすることで、ゲイらしさを強めることは出来ていたが、ここはもうガストンと全く別の、華奢な美男子にするのも良かったのではないか。そうすることで、ル・フウがガストンの真似をする時の悲しさは、笑えないレベルに達する。どうやっても、あの獣のような男の真似ができない。

 この考えに至った理由は、劇中の『強いぞ、ガストン』の時のル・フウの仕草による。彼はその時、アニメとは少し違う挙動を入れている。それは、「お金を払っている」動きだ。彼は、酒代であったり、チャンバラに参加する男や、楽器隊にお金を払っている。おそらくは、それは身銭を切っているのだ。そこまでして、ル・フウはガストンを元気づけている。これはつまり、ガストンのパトロン的なポジションにいるということだ。

 ガストンとル・フウが登場する初めのシーンで、ル・フウはフランス語の諺にも通じていることが明かされている。もしかすると、良い家の出なのか、と思わせるほどに。

 そんな彼が、なぜガストンを好きなのか。それは、ガストンこそが自分とは全く正反対の存在だからだ。教養も、繊細な心もない、ただ腕っ節と男らしさで、村の王のように君臨している彼に、ル・フウはベルとは対象的に惹かれていた。ベルが自分と同じ属性の人間を求めていたことに対して、ル・フウは逆だ。ル・フウは自分にないものをこそ求めた。しかし、それは異端の想いではある。

 そんなル・フウが、ガストンの求めを拒否し、野獣に思いを寄せるベルを見たら、果たしてどのような感情を浮かべるであろうか。

 おそらくは、嫉妬と怒りではないだろうか。社会の通年に合わせ、自らを欺いてきたル・フウにしてみれば、自由に人生を謳歌しているベルは、羨ましくもああるが、もはや嫉妬の対象でしかないであろう。しかも、自分の最愛の人間を棄て、こともあろうに野獣などに惹かれている。これはつまりは、ガストンへの侮辱であり、ガストンを愛しているル・フウへの侮辱でもある。(なお、アニメ版ではないフランス民話の『美女と野獣』において、「嫉妬」は非常に重要な要素である。民話の話には、なんとベルには姉がおり、城に戻らねば野獣が死ぬ、という時に、嫉妬にかられた姉二人によって邪魔をされるのだ。)

 ならばどうするか。それはもう、ベルの愛している世界を壊すしかない。父親を精神病院送りにし、城を焼き、そして野獣を殺す。そうした所で、ル・フウの思いは届くことはないが、そうするしかない。

 野獣との決闘の末、転落するガストン。息絶える野獣と愛を口にするベル。その光景を目の当たりにして、ル・フウは気がつく。そうだ、自分は彼に愛している、と伝えたことなどないのだ、と。そして、この行為に意味などないのだ、と。

 燃え盛る野獣の城の屋根から、ル・フウはガストンの元へ身を投げる。まるで、落ちていく最後の薔薇の花のように。もはやベルも野獣も、そんなことは知ったことではない。ガストンのいない世界で生きていくことなど、彼にはできないのだ。

 

 

 と、まぁ、ル・フウを漫画の典型的な同性愛者にしたら、こうなるのではないだろうか、という妄想をぶち込んでみた。

 正直、こういう妄想をすること自体が同性愛者の方々に失礼だろうし、今作での描き方のほうが上品だと思う。