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【ネタバレ】良い映画だがチグハグ~映画『フローズン・タイム』を観て~

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 アマゾンプライムで映画『フローズン・タイム』を観ました。

 結構前評判が良かったので安心していましたが、考えていた以上に良い映画だったので驚きました。ジャケットがあまり映画とあっていないので、なんとかして変えたほうが良いのでは。

 SF、というべきかファンタジーと言うべきか、ジャンルとしてはヒューマンドラマと呼ぶべき作品。

 

・基本的には笑える映画

 この映画は一本道のストーリーではあるものの、主人公が何かしらの目的を持って行動しているわけではないので、途中までは非常に無軌道に見える。

 例えば、主人公は恋人に振られた(と言うよりは、その後目の前でイチャツカれたりした)ショックで不眠症となっているが、それを苦しんでいる素振りは少ない。と言うよりも、そうなっていることで恋人を忘れないようにしている、とすら読める。つまり、この映画の主軸は不眠症の治癒ではない。

 では、フローズン・タイムという名前が示す能力(というべきか、なんというべきかわからないが)を使った、楽しいエンターテインな人生を送ることが主題歌と言うと、そうでもない。主人公はその能力を使い倒して楽しむでもなく、ただひたすら絵を書くことばかりに使う。(少なくとも、映画で描写する範疇では)

 ヒューマンドラマと呼ばれるジャンル映画によくあることだが、この無軌道っぷりを覆い隠すために、この映画では随所に笑いを散りばめている。そして、その笑いは冷たいものではなく、温かみに溢れた、人とのふれあいの中の笑いだ。そこがこの映画を良い映画にしているところだと思われる。

 この映画は、本当にとりとめもない笑いを、これでもかと散りばめている。悪友二人の馬鹿なやり取りだけでなく、突拍子もなく出てきたカンフーマニアや、幼馴染の下ネタ。すべてが抱腹絶倒、というわけではないが、テンポよく運び込まれるネタの嵐を前に、くだらなすぎて笑えてしまう。

 ただ、それが物語を進めているわけではないことは事実だ。この映画の悪い点の一つとして、やはり無軌道すぎる点が挙げられると思う。ギャグを重ねても、物語への興味を持続させることは難しい。

 

・善人だらけのスーパーマーケット

 この映画の大きな部分を占めるスーパーマーケットは、日常そのものを描いている。基本的には退屈で、時間の進みのない場所だ。ただ、そこに息づく人たちはくだらないことに知恵を絞り(時計を隠すなど)、くだらない笑いを見つけ出し(悪友二人組)、そして、その日常を楽しんでいる。

 フローズン・タイムというタイトルではなく、原題のキャッシュバックという意味で言うと、主人公はこの日常の中から、お金以上の何かを取り戻した、ということになる。それは新しい恋人、という意味でも正解だろう。画家としての成功も正解だ。しかし、実際には彼が取り戻したのは日常だったのかもしれない。

 

・店長というキャラ

 本作中で一番の悪人として描かれている店長ですら、どこか優しく、憎めない。彼の描き方はこの映画の白眉と言える。厚顔無恥であり、自信家であり、誰よりもエゴイストな彼だが、周囲の人間を嫌わないことにこそ、その美徳はある。問題しかない従業員を信頼し、チームワークを説き、果てはパーティーにまで呼ぶ。

 なぜ彼が他人を信頼するか、という謎への答えは簡単だ。全ては、彼のエゴイズムから来ている。彼は自身が素晴らしい人間であることを疑わないがゆえに、他人も自分を愛していることを信じて疑わない。そして、自らを愛する者を、彼は愛しているのだ。

 この馬鹿げたキャラクターは、馬鹿げているがゆえに魅力的だ。

 

フローズン・タイムにはルールがあったほうが良かった

 主人公の時間停止能力は、この映画の主軸ではない。それゆえに、ほぼ説明もない。ただ、それでは本当に謎しか残さないため、人によっては「結局、これは何なの?」というブレーキにしかならない時もあるのでは、という危惧がある。

 また、主人公の独白が大半を占めるこの映画で、能力についての分析があまりないのも気になった。これだけ四六時中、様々な事を考えている主人公が、なぜこんな面白い事象を簡単に受け入れてしまうのか。

 やはり、こういう荒唐無稽なものに対しては、一定の主人公のスタンスを示すべきではないか、というのは感じた。主人公の中で「おそらくはこうだろう」というルールを設けるべきだったのではないか。

 

・そもそも、能力が暗示しているものが不透明

 この時間停止能力には、様々な理由が考えられるが、個人的には以下の3点かな、と推測していた。

 

①スージーと恋人に戻りたいという時間逆行への願望(そこから転じて、恋人がほしいという願望)

不眠症が突き進んだ結果、時間の進行が極限まで遅くなった

③主人公の妄想

 

①が一番ありえた、とは思うのだが、結局は最後も時間を止めており、そうではないらしい。

②については、不眠症が治ったはずが、その後で時を2日も止めている。ジョースター家の血でも入っていたのか。

③は、絵であったり、店長への実際の被害もあったので、おそらくは違う。

 

というように、映画の主軸がないために、時間停止能力もそこに関与したものとならない。

 この映画の大きな問題点はここにある。主題が定まっていないことだ。普通のヒューマンドラマで、特に時が止まらないのであれば、別にこの映画は何も問題がないように思う。もしくは、時間停止がただの妄想であり、主人公の願望を演出として見せているだけなのだとしたら、この映画は普通のヒューマンドラマとして成立したと考えられる。(最後の演出も、二人だけの世界に入りました、みたいな感じで納得できよう)

 時間停止のような荒唐無稽なものを出すのであれば、それはなにかの言い換えであったほうが映画的な主題を強化する装置になる。

 例えば、①の場合であれば、二度出てくる「時間は巻き戻せない」という言葉が、非常に大きな意味を持つ。つまりは、彼の持っている能力は、彼の本当の望みを叶えることができない。そして、二人の恋人を失い、彼がそれでも何かを『キャッシュバック』したとしたら、それは何か、という話に持っていくことができる。この場合は、バッドエンドを描くことになるかもしれないが、能力が映画の主題を説明する装置になる。

 主題がない映画が悪い、というわけではない。この映画は、装置の食い合わせが悪い、ということだ。少なくとも、時間停止は演出だけにとどめておけばよかったと思う。もちろん、それが面白くないのであれば、主題を明確にすれば良かった。

 

 例えば、この映画は何度も過去の話が挿入される。(その挿入のシームレスさは良かった。この映画の美点の一つ)

 もう二度と戻らない、馬鹿げていたが楽しく、美しい日々。それらは時間の不可逆性を演出するのに一役買っていた。さらに、その登場人物がまた現実に出てくることで、その閉鎖性を打ち破り、未来がある演出にもなっていた。(その後、付き合っていないのには閉口したが)

 その話もまた、与太話の一つでしかなく、あまり映画の進行に寄与していることはなかった。

 映画は無駄なことを語れば語るほど、主題が見えなくなり、結果としては茫洋な映画になる。

 良い映画ではあったが、今の評価はたしかに適当だと思われた。