ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】大丈夫じゃない世界を絶望した上で、肯定してほしい~『天気の子』を観て~

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 映画『天気の子』を見てきました。

 『君の名は。』のサントラをずっと聞き続けているくらいには、前作のことはそれなりに好きではあり、今作については前作を超えることは難しいだろう、という感じで、ハードル低めに見てきました。

 つらつらと思ったことを。

 

・いい作品だと思う

 ネタバレしない程度に前評判を聞いていた感じでは、賛否両論という感じだったので、どれだけの奇想天外な作品なのか、と思ったが、なんのことはない、基本的には真っ直ぐな物語で、非常に読後感が良かった。

 前作よりも確実に良くなった部分として、この二人が好き合う理由が、わかりやすかった。

 前作は、凡百の脚本家であれば、必ず入れ替え時に描くべき部分を抜いていた。それは、二人がそれぞれに持つ家庭などの問題を、入れ替わることにより客体化、ないしは別人の力で打破し、それ故に惹かれ合う、というシークエンスだ。それが無い為に、恋愛弱者である自分にとっては「この二人、いつ好きになったんだ?」と首を傾げてしまった。

 その弱点を、今作はきちんと晴れ女業シーンで描き、こんな女の子なら好きになるわ、と思うことができ、なおかつヒロインも主人公のおかげで天職を得ることができ、そらもう惚れてまうやろう、と理解できた。

 そして、その二人が選んだ結果によってセカイの形が変質してしまう、というのは割とわかりやすくセカイ系であり、新海誠作品を見たな〜、という読後感を得られた。

 

・『君の名は』ほどの感動はなかった。

 理由の大部分はRADWIMPSの責任?にあると思う。

 逆に言えば、僕にとっての『君の名は。』が、RADWIMPSの作品だった、ということでもある。

 

 前作において、代表すべき曲は『前前前世』ではなく、『SPARKLE』であり『なんでもないや』であった。そして、この二曲に通じているテーマとしては、「今は有限」であり、「いつか終わるものとしての今」について歌っている、というものだ。いつか消えてなくなる、だからこそ、この出会いは素晴らしく、愛おしい。

 しかし、今作の主題歌では、ただあけすけに愛の無限大の可能性について歌っているように思われる。

 実のところ、映画の終わり方(ないしは進行)としては、2作ともそれほど変わってはいない。ハッピーエンドであり、未来のある終わり方だと言える(犠牲者の有無が大きく異なっているが)。違うのは、そこに添えられた歌であり、その歌詞だ。

 前作は、映画の終わり方とは真逆の歌詞でエンドロールが始まる。一瞬前まで、エンドロールの直前、二人は名前を言い合い、恐らくは結ばれる。しかし『なんでもないや』と一緒にエンディングが始まった瞬間、その愛は有限であり、観客には想像もし得ないが、おそらくは終わるのではないか、という不安が漂う。それこそ、二人の間を通り過ぎた風が、どこか寂しさを誘うように。

 今作は、「大丈夫」と言ってエンドロールが始まる。まっすぐだ。なるほど、世界の運命は君の肩に乗っかっている。でも、大丈夫。ぼくがいるから、、、、

 前作は、全くそうではない。あの二人は運命のおかげで出会い、そして結ばれる。しかしながら、それはもしかするとヒロインの両親と同じ末路になるのではないか。今この出会いもまた、いつか忘れてしまうのではないか。観客にはわからない。もともと、なんで好き合ったかもわかりにくいこの二人が、どんな理由で分かれるのか、想像もつかない。

 だからこそ、この二人の幸せを願わずにはいられず、今を愛おしく思う、というエモーションへとつながる。

 そこが、『天気の子』にはない部分であり、『君の名は。』と比べて物足りなく感じる部分ではないかと思う。

 

RADWIMPSの良さは、「時空への言及の有無」ではないか

 『天気の子』を平たく行ってしまえば、「環境」がテーマであることに対して、『君の名は。』は、「時空」をテーマとした作品だった。そして、「時空」こそ、RADWIMPSの十八番のテーマである。

 昔のRADWIMPSの歌う内容といえば、基本的には「今(の僕たち)」に対応する「過去」や「未来」に対して、どう向き合っているかを歌っているに過ぎない。時と空間は、密接に関係している。そして「時空」とはどこまで表現しても、私的な言葉でしか表現できない。つまりは、公的な「環境」には、あまり触れられない。

 さらに言えば、野田洋次郎はそこに「自己肯定」と「終わりの予感(ないしは、すでに終わってしまったという悔恨)」を混ぜる。それこそが、彼の真骨頂だ。

 物語の始まりは、すでに終わりを内包している。僕たちの人生や素晴らしい時間は、いつか必ず終わる(終わりの予感)。それでも、いやだからこそ、僕たちは今を生きる(自己肯定)、というのが野田洋次郎の一番調子のいいときに書く歌詞だ。このアンバランスさと甘ったるいナルシシズムが、厨二病的であることは否定しない。というより、厨二病的であるからこそ良いのだ。

 厨二病とは、罹患しない人間には良くわからないだろうが、幼少の人間が持つ万能感と現実のせめぎあいの中で生まれる病だ。ある意味、それ自体が必ず終わる、人生における執行猶予のようなものだ。現実は基本的に、僕たちを大人にする。そしてそれは、やはり寂しいものなのだ。

 しかるに、『天気の子』は「大人にならないで済む方法」を編み出そうとした物語であり、それ自体は否定するものではないものの、RADWIMPSとは、実は相性が悪かったのかもしれない。

 ただ、今作の曲の中でも、「大丈夫」のニュアンスを前作の「なんでもないや」に近づけられなかったものか、と惜しく思ってしまう。

 あの「やっぱり、なんでもないや」は、どう考えても「なんでも」あるに決まっているし、何なら、気づいてほしい気持ちも少しある。ただ、そんなことに時間を無駄にしている場合じゃない、僕らには今しかないんだ。なぜなら、やっと君に出会えたんだ、、、、、

 

 

・主人公は雨が嫌いであるべきだった

 個人的には、主人公があまり雨を嫌がっていないことがマイナスではあった。

 どちらかと言うと、雨の中でも楽しく生きている感じで(それはそれで良かったのだが)、彼が最後にヒロインを選ぶ価値が減ったように思われた。何なら、船では全身に雨を浴びて楽しそうにしていた。あのシーンは何だったんだろう。

 彼にとって、別に雨の東京は悪いものではない。なら、好きな女の子を選ぶ方にインセンティブが傾いても問題ないようにも思える。

 回想で、彼は晴れた世界を夢見て島を飛び出し、東京に来た、となっていた。ならば、雨の中では陰鬱に過ごすべきなのだ。冲方丁が「主人公は雨男であるべきだったのでは」と言っていたが、まさしくその通りだと思う。猫に雨なんて名前をつけるはずもない。

 彼は雨から逃げようとし、晴れの世界に行きたくて東京に来て、そこでも雨が降っている。俺の人生は雨ばかりだ。どうしようもないのか、というところに、晴れの世界を持ってくる女性が現れる。彼女の力があれば、晴れの世界に行ける。

 しかしながら、その代償として、彼女の命を差し出さなくてはならない。さて、彼はどうするのか。

 大嫌いな雨の世界で、愛する女性と暗く過ごすのか。それとも、彼女のいない晴れやかな世界を選ぶのか。(しかも、後者は東京を救った英雄にもなれる)

 この二択であれば、彼が雨の世界を選んだときのカタルシスも高まり、夢に二人で帆を張る意味がある。怖くないわけはない、でも僕らは子供のままで、生きていくのだ。この雨の世界で。

 

 恐らくは、心理的なブレーキとなる陰鬱的な世界を嫌っての脚本だとは思う。東京での生活を楽しく見せることの方が、客の受けも良いとは思うし、個人的にも、あの疑似家族の描き方は好ましいものだった。なので、あまりあげつらうべきではないのは確かだが。

 

・手錠つかってよね

 あの手錠、絶対に二人をつなぐのに使ってほしかったよね。

 

・人の生き死にの問題について

 今作のエンディングでは、雨を止めなかったために、家をなくした人間や、それこそ命を落とした人間もいるに違いない。

 ただ、そこに大きな言及はない。正直、それがセカイ系だ、とも言える。セカイ系の主人公は、どこかでセカイを背負うことをやめる。なぜなら、セカイ系とは、一種の自己肯定の物語だからだ。

 『君の名は。』も、運命という大きな自己肯定が働いていた。死人を蘇らせた、という意味では、前作でも世界の在り方を大きく変えた、とも言える。なので、そこまで重要な問題には感じられなかった。子供はそういうもんだしな、と。

 

 

 ・小栗旬は良かった

 個人的に、小栗旬の主演作で好きなものはなく、また役者としてもそこまでの演技は期待していなかった。しかし、今作では徹頭徹尾、小栗旬の演技は良かった。一本調子ではあったが。本田翼も、ティーザーのときの「おや、これは大丈夫かな」という心配ほどにはだめではなかったと思う。ただ、小栗旬にはそれ以上の驚きがあった。

 今後も声優としての道は開かれていると言っても過言ではない。

 ただ、最初の船に乗ってた理由は何だったんだろう。

 

平泉成で笑ってしまった

 刑事役で出すのは卑怯。

 

・弟の存在価値について、未だに考えてしまう

 女装男子以上の意味を、未だに見いだせずにいる。

 

www.youtube.com個人的に、エンディングで頭の中に流れていた曲。

映画の終わり方とは真逆だけど。

 

 

Amazing still it seems
I'll be 23
I won't always love what I'll never have
I won't always live in my regrets

 

未だに、すごいことだなって思えるよ

僕はもう23になって

持ち得ないものを愛し続けることはないだろうし、

後悔の中で生きるつもりもないんだ