ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】ロシアは未だに深淵~『クリード 炎の宿敵』を観て~

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・スポ根映画としてみたら十分面白い。何も考えず、楽しめる良作になったと言える。

 

ドルフ・ラングレンのロシア語を堪能できる。というのはさておき、ドラゴ側の話は良かった。ドラゴ親子の葛藤や交流、そしてラストの一緒に走り出していく姿は素直に感動した。

 

クリード1に比べると、やはり作品全体としてはジャンル映画化し、普遍的な良さはなくなった。

 前作は、それこそボクシング世界の縮図としての「アメリカの再生」を描いた作品だったと思う。ヨーロッパに蹂躙されたアメリカボクシング界の再生劇であり、最後の舞台がイギリスだったことも含めて、一種の親子の話でもあった。親がなし得た偉業を、子供はどのように受け継いでいくのか。また、受け継ぐ意味はあるのか。そういう事も含めた作品だったし、そんなところまで射程に含めながら、非常にコンパクトにまとめ上げることのできた、まさしく傑作だった。

 それに対して、今作ではその視座はない。あるとすれば、親子の関係だろうか。親から子に、一体何を受け継ぎ、そしてそれをどう受け止めるのか。

 例えば、アマーラの耳への障害が、この映画の中で何を意図しているかは難しい。良いものも悪いものも、受け継いだものすべてを受け止めて前進する、ということを言いたいのではないか、と考えるも、この映画ではそこには言及しない。ほのめかしすらもない。ただ与えられるだけで、あとは解釈のみが存在している。

 

 もっとも、ロッキーですらも、1以降はただのスポ根映画になっていたことを考えると、それ以上を求めるのは最初から酷である、とも言える。

 

・ロシアサイドの描き方はどうだったか

 クリード1がボクシングの世界の縮図であったとしたら、その中におけるロシア(旧ソ連)はどのような存在になるだろうか。ボクシングファンからすると、それは現代ボクシングの頂きに君臨している、という答えになると思われる。

 長かったクリチコ政権が終わりを告げ、アメリカにも久方ぶりのヘビー級王者が生まれたとはいえ、未だにPFP最強と呼ばれるのはロマチェンコであり、その少し前はゴロフキンだった。

 そんな世界から見ると、ドラゴ親子の描き方はあまりにも古臭く、残念と言わざるを得ない。さらに言えば、ロッキー4よりも退化している面ですらある。

 ロッキー4のドラゴはアマチュア出身の強いボクサーだった。現在、ボクシング界を支配しているのは五輪でメダルを取った猛者たちだ。その観点からすると、ドラゴというキャラクターは非常に現代的な存在だったと言える。ロマチェンコなど、プロになって3戦で世界王者になったところはドラゴの現実版にすら見える。

 何が言いたいかというと、ボクサーとしての描き方が現実から乖離しすぎている、ということだ。ドラゴのボクシングスタイルはパワー偏重で、荒削り、ということだったが、それは現在のロシア系ボクサーとは少し違う。現代のヨーロッパのボクサーはアマチュア上がりの技術力を全面に押し出し、そこにパワーを加えた攻防一体のボクサーであり、その技術力でアメリカのボクサーを圧倒している。また、ただのテクニック偏重なのではなく、体幹を鍛え上げ、少ない動きで大きなパンチ力を出すこともできるなど、現代スポーツの申し子たちでもある。あのゴロフキンですら、防御テクニックはアマチュア出身らしく高いものがある。

 ドラゴは、息子もアマチュアに進ませるべきだったし、そこを「一度大きく負けたから」という理由で除け者にはしないはずだ。除け者にするにしても、ロシア内でドラゴがのし上がる過程を見せるべきだったと思う。実力で黙らせる野獣、ということであれば、まだ納得はいくものの、いきなり出てきて、となると「他に強いやつはいなかったのか」と疑問に思ってしまう。

 これも、1の脚本が良すぎたせいであり、ここまで求めるのは間違っているとは思う。ある意味、ただの言いがかりなので、この作品を貶める要素にはならないとは思う。

 

・4のドラゴって、最後は良いやつだった気がする

 うろ覚えながら、あのドラゴは、何だったのか。「俺は負けたから、何もかも失った」って言ってたけど、その前に歯向かったからでは。まぁ、歯向かったから干しても良いわけではないが。