ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】生きとし生けるものすべて~『レヴェナント』を観て~

www.youtube.com

 

 映画『レヴェナント』を観てきました。

 アカデミー作品賞をとった、ということもありますので、非常に楽しみにして行ってまいりました。

 ネタバレ全開で行きたいと思います。

 

 

 

 まず、映画として本当に最高の体験ができると思います。

 この作品は題材的には3Dで観る必要はないようにも思いますが、映像の素晴らしさ、美しさ、そして大自然の持っている「人間を全く顧みない冷酷さと優雅さ」を描き切っており、そのすばらしさを感じるためにも3Dで観ることも考えたほうが良いと思います。

 坂本教授が「本当の主人公は自然ではないか」とインタビューで答えていましたが(公開前なのに、完全ネタバレのインタビューで笑ってしまいましたが)、その言葉に偽りなし、といったところ。

 そして、アメリカの裏の顔というか、最近は題材にされていない開拓史を描いていることも、すごく面白かったです。テイザーくらいしか予備知識を入れずに観たんですが、すぐにインディアンが襲ってくるので「あ、これ、アメリカか」と分かります。ただ、分かったとしても、「これ、アメリカか?」と訝しく思ってしまうほどに、今のアメリカからはうかがい知れない側面でもあります。

 そもそも、インディアンが強すぎる、と言うか、怖すぎる。僕は寡聞にして知りませんでしたが、確かにアメリカ人(開拓者)にとってのインディアンとは、こういった存在だったのかな、と思いました。だからこそ、あそこまで迫害されたのだ、と。それくらいに恐ろしく描かれていました。なんというか、話が全く通じない感がひしひしと伝わる感じです。それは言語が通じないとか、そういうレベルの話ではなく、見ている世界観、前提が全く違う、ということです。

 途中で、フランス人とインディアンが物々交換の交渉をしているシーンが有るんですが、それがまさしく、言語は通じているけれども、考え方が全く違うシーンになっていると思います。もう、話が通じない。マジで。

 ただ、ここでは全く話が通じないこのインディアン、動いている動機は主人公と似ている点が何度も映画中に出てきます。それが「娘を取り戻す」というものです。だから、僕らがディカプリオを通じて観ている話に似ているのに、なんか理解できない。それどころか、その執拗さが気味が悪いくらいになっている。ただ、ディカプリオも、最終的には同じ境地に達します。最後、トム・ハーディを追いかけさせてくれと隊長に頼むシーン、隊長と話しているディカプリオは、もはやあのインディアン達と同じような存在でした。もはや、全く話が通じない、生きている世界が違う存在。

 

 イニャリトゥ監督は、前から一貫したテーマってのがあるのかな、というふうに思っていたのですが、今回の映画を観て、広義の意味での「自然と不自然」を描こうとしているのかな、と思いました。異質なものと異質なものとの邂逅を通じて、それが結局は止揚していく様を描こうとしているというか。なんというか。細かく見ていくと色々と違うんだけど、遠くから見てみると、全ては自然な成り行きにそって進んでいく、という物語を描こうとしているのかな、と思いました。

 例えば、今作に幾度と無く出てくる大河。映画の始まりは、その川の流れをじっと映すシーンで始まるのですが、その流れ自体は自由気ままで、奔放な自然として目に映ります。しかし、それが次第にカメラが離れていくと、結局は大きな流れにまとめあげられて見える。

  それは今作で第二の主役とも言える、様々に用いられるサバイバル技術もまた、基本的には「自然から何かをもらいながら生きていく」ということに他なりません。人間は不自然な存在なように思えて、結局は自然の中で自然と共生しているとも言えます。それが、何かを食べるであったり、大河でディカプリオがすがりついた大木であったりするのかな、と。

 この映画で、主人公は多くのものに助けられますが、それと同じく多くのものを無くします。もちろん、子供もそうですが、主人公が歩く度、どこかへ行こうとする度に、何かを食べ、誰かを失い、そして主人公だけが生き延びる。その姿が圧倒的な威力で画面に焼き付いている。

 『バードマン』の撮影の仕方から、また新たな世界を見せているな、とも思います。どうやって撮ってるんだろう、と思わずにはいられないですね。

 

 あと、これは撮影方法の一つというか、ただ凄いと思ったのは、息でカメラが曇るところですね。これ、凄いというか、マジかと思いますよね。絶対、カメラを曇らせるのってダメじゃないですか、普通に考えたら。それをやる。

 僕実は、今回の映画を見る少し前、あることが原因でイニャリトゥ監督の評価を少し下げていました。それは、マッドマックスアカデミー賞をとったある人の服装について、すごいイラッとした視線を投げてたことに、個人的にはガッカリしたからです。

「イニャリトゥ監督って、作品自体は凄い権威に対して向かっていく作品が多いのに、そんな服装なんか気にするの?」と思ったからです。

 ただ、この作品を見て、その考えを改めました。なぜなら、イニャリトゥ監督にしてみれば、外見とかで反旗を翻すことにはあまり意味は無い。そうじゃなくて、作品でこそ語るべきなんだ、という意識があるんじゃないのかな、と。勝手にそう思いました。ドクロマークの服なんか着てなくても、俺は権威に対していくらでも牙を剥いてやるし、その結果として、権威に認めさせてやるぜ、という勢いを感じました。

 それが、このカメラが曇るシーンですよ。別にこれって、うまいとか、新しいとか、そういうことじゃないと思うんですよね。しかも、例えば画面が曇りでホワイトアウトして、次のシーンに移るとか、そういうものでもないんですよ。ただ曇ってるんですよ。風呂にも入ってねーきったねーレオナルド・ディカプリオの臭そうな息で、画面がただただ曇ってるんですよ。

 ただ、これが自然だ、というのも分かるんですよね。で、これを凄いと思わせるだけの持って行き方というか、そういう技術がすごいんじゃないかな、と思いました。

 

 個人的には、90点です。

 

 

 

無法地帯という言葉の意味~『ボーダーライン』を観て~

www.youtube.com

 

 映画『ボーダーライン(原題『Sicario』)』を観てきました。

 僕はこの映画、色々と噂を聞くよりも前に、YOUTUBEでなんか映像が流れていたのを見たことで知りました。なんかスゴイ映像の映画があるんだな、と。そして、コメント欄を見てみると、どうやら日本ではまだ未公開の映画っぽい。そして、評価がすこぶる高い。

 評価の中身を見てみると、どうやら「戦闘シーンがすごい」とか「リアルな戦闘シーン」とか「戦闘シーンがえげつない」とか、お前ら戦闘民族かと言わんばかりの戦闘シーンべた褒め。

 主演もエミリー・ブラントだし、まぁ、トム・ハンクスのいない『オール・ユー・ニード・イズ・キル』みたいなもんだろ、と思って勇み足で観てきました。

 以下、完全にネタバレ全開で感想を書きます。

 

 

 

 一言で言うと、「重たすぎ」ですね。特に、最初の突入シーンの凄さと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。ここで、観てる人たちは気がつくわけです。「あ、この映画、なんでもありだ」ということに。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観に来たつもりが、どうやら観てるのは『ノーカントリー』だと気がつくわけです。

 特に、初っ端の爆発シーンは、それを象徴しています。普通に考えて、開始10分であそこまでえげつない爆発させないですよ。もうそれで「この映画、エミリー・ブラントが死んでもおかしくない」となるわけです。

 映像、カメラ割りもいいのですが、何よりもいいのは音響です。最近の、重たい音がずっと鳴ってる、というのをよりマッシブにした、というか、もう耳に刺さるほどの不協和音をノイズ音楽みたいにぶち込んで緊迫感を表現しています。しかも、それが完璧なタイミングで車の音や、外の音と融け合ってしまうせいで、映画と現実の境目がなくなっていく感覚を味わえます。BGMは、BGMじゃないんですよ。それも一つの音として、世界に存在しているように感じるんですよ。

 この映画、アクションシーンはもちろんすごいんですけど、はっきりと「ここアクションしてますよ」というシーン自体は多くないんですよね。ただ、緊迫感がずっと続きっぱなしなので、まるでずっとアクションシーンの中にいるような感覚に陥ります。それを象徴するように、映画の最初のほうで、マットが言うセリフが「どこでも寝れる訓練だ」でした。つまり、普通の睡眠(安心できるシーン)がとれることはないぞ、という脅しです。そして中盤以降、銀行でエミリー・ブラントの顔が割れて以降は、本当に彼女には安息が与えられなくなります。ここら辺でもう、僕はすごい疲れました。この映画、なんてしんどいんだ、と。エミリー・ブラントの濡れ場寸前でこの仕打とか、悪魔の所業かとしか思えませんでしたね。

 ただ、一言文句を言うとすれば、アレハンドロの戦闘シーンに関しては「これってリアルか?」と思ってしまいましたね。だって、強すぎるというか、もはや007レベルに強いじゃないですか。まぁ、それも僕の映画見るまでの先入観があったから、というのもあるので、これに文句つけるのはおかしいかもしれませんね。

 

 あと、個人的にすごく面白かったのは、この映画には「麻薬戦争」とは別の戦いが描かれていまして、それは「平和を守るために法律を破るべきか」という問答ですね。まぁ、よくある問答ではありますが。

 この映画では、ジョシュ・ブローリンが、本当に法律を破って色々な謀略を繰り広げます。更には、主人公たちをその目的のために利用する、という始末。そして、彼を裁く人間は誰一人いない。なぜなら、彼には「アメリカの平和」を守るため、という免罪符が与えられているからです。

 しかし、それが意味するのは「法律なんて守る意味が無い」ということであり、それは麻薬カルテルが支配するフアレスと、もしかすると変わらないのかもしれない、ということです。

 この映画で描かれるメキシコという国は、本当に地獄です。毎日、橋から首なしの死体が吊るされ、子供たちがサッカーをして遊んでいるグラウンドに銃声が鳴り響くような場所です。アメリカはそんなことありません。まだマシです。しかしながら、実態はどうなのか。結局は、麻薬カルテルかアメリカの政府の違いくらいしか、そこにはないのではないか、と思わざるを得ません。

 特に、最後にエミリー・ブラントに銃を突きつけて「全ては法律に則ってやったとサインするんだ」というシーン。あれって、麻薬カルテルがやってることと同じですよね。あれはアレハンドロがやらせてるから、ある意味で弱くなっていますけど、やってることはアメリカもメキシコも同じじゃん、ということですよね。「それってどうなの?」という問題提起。

 これは、反スパイ法とかについてもきちんと考えなくてはいけないな、と思いましたね。反対するにしても賛成するにしても、その内容をきちんと見ておかないと、その法律はいつでも無効化されるわけです。というより、法律というものは国を縛るはずのものだ、という基本概念を持っておかなくてはならないな、と思いました。

 エミリー・ブラントが、ジョシュ・ブローリンたちの方法を嫌い、きちんと法律に則って悪人を懲らしめよう、と上司に提言する場面があります。ここのやりとりは、非常に良かったです。というのも、上司が言っていることと、エミリー・ブラントが言っている内容が、全く噛み合っていないからです。

 簡単に言うなら、エミリー・ブラントは「法律違反を罰することが平和を守る」と言ってるわけです。それに対して上司は「法律は足かせだ。だから、君たちのためにその足かせは外しておいたよ。法律なんて気にしなくていいよ」と優しく語りかけるんです。

 この交差具合。全く噛み合ってない感覚。上司にとっては、法律を守らないでいいよ、というのが、エミリー・ブラントのためになると本気で思ってるんですよ。なんなら、感謝してね、というくらいに。この発言を【法律に違反した人を捕らえることを職務としている】はずのFBIが言っちゃうんです。これはもう、凄い脚本ですよね。ただ、これ、現実にFBIがCIAと共同で参加するとなると、有り得る話なんですね。

 でもそれって、君らがやってることってなんなの? という話になりますよね。法律ってなんなの?という話になります。

 

 という風に、非常に重たい内容とテーマを詰め込んだ、かなりの力作だったと思います。

 個人的には85点です。

そろそろ骨休めもあると思います~『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観て~

 

www.youtube.com

 

 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観てきました。

 公開するという話を聞いた瞬間、「え、マジなのですか」と驚いた作品です。それは「え、原作のあれをやるの?」という驚きと「またザック・スナイダーにやらすの?」という二つの驚きでした。

 正直なところ、前作『マン・オブ・スティール』についての評価はあまり高くありませんでした。ザック・スナイダーは大好きな監督ですが、『300』と『Watchmen』の二つ以外は、あまりいい作品に仕上がったとは思っていないのが、正直なところです。『マン・オブ・スティール』については、新たな表現の仕方を獲得したように思いつつも、色々言いたいことだらけの映画に仕上がったと思います。あと、もうクリストファー・ノーランはよくないか、というのも正直ありました。

 それでは、ネタバレ全開で行きたいと思います。

 

 

 

 ざっくり言うと、いいところは100点満点で、それを除けば退屈な映画でした。

 当たり前のことを言っているようにも見えますが、この「退屈」という言葉は、かなり問題じゃないかな、と思います。

 まず、この映画、2時間近く、退屈なシーンしかないです。一応、時折戦闘シーンがあるんですが、ほとんどは最後に持っていくので、ほとんどバットマンもスーパーマンも戦いません。映像的なスペクタクルが若干あるかな、という感じですが。

 しかも、なんか戦闘シーンが出てきた、と思ったら夢オチなんですよね。2回位あったかなぁ。夢オチは2回も使われると冷めますよ。途中で「あ、これ夢だろうな」と思ったら「なんだ、また退屈な話に戻るのか」と急激に冷めるんですよ。映像的にかっこいいんですけど、「なんだかな」となるんですよねぇ。

 個人的に、もっとバットマンの戦うシーンを増やしても良かったんじゃないの、というのが正直なところです。後述しますが、ザック・スナイダーバットマン向けの監督だと思います。もっとザック・スナイダーバットマンが見たかった。

 あと、ジェシー・アイゼンバーグ。僕、この映画の前に『ゾンビランド』と『ソーシャルネットワーク』を観て、アイゼンバーグポイントを高めていったんですが、「おまえ、それソーシャルネットワークの演技じゃねーか」みたいに思いましたね。いや、よりソーシャルネットワークっぽくしたというか。そういうのも含めて好きなんですけどね。

 あと、ゴッサム・シティはどこにあるんだ問題とか、凄いノイズでしたね。地理的にはブルックリンでいいのか?

  なので、映画全体としての評価は、どうしても低くなってしまうというか、「ずっと面白い作品ではない」という風に言わざるをえないですよね。最後のバトルシーンも、面白いっちゃ面白いんですけど、『アベンジャーズ』一作目のあの最後のバトルシーンと比べると(比べるのも酷な話ですが)、弱いですよね。盛り上がらないというか。それは、前作『マン・オブ・スティール』と同じだと思うんですよ。なんかスゴイこと起こってるんだけど、よく分かんない、というね。

 

 次に、最高、というか、「これはイイ!」と映画館で拳を握ってしまったシーンは、【バットマンの出てくるシーン】と【戦闘中の会話】です。

 バットマンの表現は、今までの映画化の中で一番怖い演出をしています。特に初登場シーンなんか、ただのホラー映画でした。ただ、この演出はすごい良かったです。「バットマンは恐怖の対象であり、変態的であり、だからこそ全ての人から嫌われると同時に、悪を討つ」ということを表現できているのは、本当に素晴らしいと思います。

 

 

 また、バットモービル! バットモービルは、バットマンを描く上で切っても切り離されない存在かと思われます。バットマンの映画化に伴い、必ず新しいバットモービルは出てきます。それくらい、象徴的なガジェットの一つです。

 ティム・バートンバットモービルは、今となっては古い気もしますが、それでもあのデザイン性と「本当に火を噴く」という最高の馬鹿っぽさで、今でも見たらテンションぶち上がりです。様々なギミックも入っており、ある意味でサイドキック的な役回りだったとも言えます。

 クリストファー・ノーランダークナイトシリーズでは、リアル路線(というべきか、象徴主義というべきか)では、戦車のようなバットモービルが出ました。これはこれで、「こんなバットモービル観たことない」と、賛否両論が巻き起こりましたが、見た目のゴツさ、映画的な盛り上げ、そしてやはり火を噴く。最高や!

 そして、今回のバットモービルですが、見た目は、、、、あまりかっこよくありません。なんか平たいし、画面も暗いのでよく分かりません。ゲームのやつが基なんですかね。アッと驚く新しい仕掛けもありません。では、何が良かったのか。それは、「残忍性」です。

 先程も書きましたが、今回のバットマンは怖いというか、もはや残忍な人殺しになっているわけです。ティム・バートンバットマンも、どこか話しの通じない感というか、残忍さがあったかと思いますが、それを上手いことハイブリットしてる感じですね。というか、今回は普通に人を殺してます。あれで死んでなかったら、テロリストこそマン・オブ・スティールですよ。その残忍さで、容赦なく、恐ろしい鉄の塊が、訳の分からないギミックを駆使して襲い掛かってくる描写が、もう、バットマン映画史上でも類を見ないシーンに仕上がっていると思います。

 バットモービルでのチェイスシーンで敵の車にワイヤーを引っ掛けて引きずるシーンがありますが、その引きずり方が、なんというか、ゴジラが尻尾引きずってるみたいな、暴虐な無軌道を描いてるんですよ。それ観た瞬間、「うおっ」と身を乗り出してしまいました。これはいい、これはカッコいい、と。そして、それを敵にそのままぶつける。最高。

 バットマンはマーサ救出の戦闘シーンも良かったですね。夢の中での戦いはそうは思いませんでしたが、やはり大人数を相手にして、ギミックと腕っ節で戦う姿はかっこいいの一言です。ここら辺の描き方が、ザック・スナイダーは上手いと思います。『300』ほど外連味のある映像ではありませんでしたが、人間らしい戦いっぷりと残虐性が増していることで、エモさすら感じます。ここら辺は、ノーラン版のバットマンの良さが入っているのかな、と。ティム・バートンバットマンにはなかったことですね。あれは、もはや人間ではなかったですしね。

 スーパーマンとの戦いは、まぁ、悪くなかったです。原作が、一発殴ることにあそこまでコマ数というか、テンションを持っていったことに比べると、若干弱かったかな、と思います。「人間はこうやって大人になるもんなんや」とかカッコつけるバットマンではなく、ただ怒り狂ってるバットマンなので、ちょっと違うのかもしれませんが。

 ちなみに、ベン・アフレックバットマンは、意外と悪くなかったです。ベン・アフレックは、基本的に何考えてるかわからない軽薄な人間やらせたら良い演技します。ていうか、そういう人なんだと思います。ヌボっとしてるというか。なので、今回のブルース・ウェイン役も良かった思いますが、どっちかっていうとレックス・ルーサーでも良かったんじゃないの、という思いも。ジェシー・アイゼンバーグが悪かったという意味ではありませんが。

 

 もう一つの良かった所は、戦闘中の会話ですね。これはね、すごい良かったです。

 敵対しているバットマンとスーパーマンの会話もええ感じでしたが、最後のワンダーウーマン絡みの会話はギャグ感満載で、すごいドライブしてました。「お前の連れか?」「いや、お前やろ」というノリ。ここで一気にエンタメ感が増して、最後のバトルを楽しくしていました。

 最後のバトルは、あまり一緒に戦ってる感が無いようにも思いましたが、この会話入れるだけで、なんか仲いい感も出てたし、うまいなぁ、と思いましたね。あと、バットマンのあまり役に立っていない感。いいですよね、ああいうの。キャプテンアメリカのポジション。もっと走ったらいいのに。

 

 

 

 とまぁ、言いたいことはいっぱいあるけれども、良い所は凄く良い、という感じでした。

 また、もう一人の主人公であるスーパーマンの活躍の仕方も、扱いが難しい感じでしたね。基本的に、スーパーマンはアベンジャーズでのハルクやソー的な役回りというか、「こいつが出てきたら基本何でもあり」という人なので、こういうお祭り的作品であまり主役でブイブイいわせるのが難しいのかな、というのも正直なところです。ただ、主役でブイブイ言わせても良かったはずの前作で、全くブイブイ言わせなかったことの罪も大きい気もしますが。そういう意味でも、クリストファー・ノーランには一旦お休みして欲しいところですね。

 それよりも、上述したような新しい味を出したバットマンを、もう少し味わってみたいですね。スピンオフ、、、にしては、ビッグタイトルになってしまうのでないとは思いますが、なんかやって欲しいですね。

 色々述べましたが、個人的には80点です。

不可逆性~『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』~

www.youtube.com

 

 ちょっと前に、『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』を観ました。前の3作も観てきましたので、ついに終わった、という感じです。

 そもそも、TVゲームのPERSONA3からプレーしてきた身としては、10年近く同じ作品を楽しませてもらった、というのが正直なところです。時期はずれではありますが、いつも通り、ネタバレ全開でレビューします。

 

 

 

 まず、この映画の一番の売りは「絵の綺麗さ」だと思っています。

 一つの場面場面が、一枚の絵として見た時に、非常に美しい。特に#4の今回は雪のシーンが多く、CGを多用しながらもセル画と丁寧に溶け込んだ雪景色は素晴らしいの一言。この絵画のように美しいシーンの連続は、#2からきっちりと描かれてきたように思います。そしてこれは、ゲームでは難しかった表現だと思います。そういう意味で、ゲームのアニメーション映画化として、やった意味はあったと思います。と言うよりも、この作品が映画やアニメーションとしてゲームの外に出す意義というものが、結局はそれ以外にはなかったのかな、というのが正直な感想です。

 例えば、大幅に設定などを変更して、この作品の持っているテーマを掘り下げるようなことがあれば、なるほど映画化してよかった、意味があった、と言えるのかもしれません。しかしながら、今回の映画化ではそこまで抜本的な改変ではなく、どちらかと言うとゲーム(本編)の雰囲気を出来るだけ損なわないよう、できるだけ美麗な映像を作ることに注力していたに過ぎないからです。

 ただ、それだからこの作品がダメな作品とは思いません。絵の綺麗さ、この本編に幾度と無く現れたテーマ、それらを描き出すある意味絵画的な絵の美麗さは、それだけでこのゲームをもう一度映像化作品として世に出しても問題はなかった、と思います。本編ファンへの久方ぶりのご褒美としては、悪くない作品であるとは思います。エリザベスのシーンなんかは、もはや微笑ましいだけで、物語の勢いを削ぐくらいにしか思えませんでした。もしも、この作品をより映画として完成させようという気概があるならば(#2は、その意味では一番良かったかもしれません。改変の仕方もスムーズでよかったです。異様なまでのBL臭にビビりましたが)、もっと物語そのものに手を加えても良かったのに、という思いがあります。もうだいぶ時間も経っているんだし、そういう驚きを提供してもいいのに、というのはひねくれたファンのひねくれた考えなのでしょう。また、トリニティソウルの商業的な失敗も、それができなかった遠因かも知れません。

 とにかく、映画としては、70点。ですが、ファンとしては80点。

 

 ここからは、本編への徒然とした思いを書きます。

 『PERSONA3』というゲームはその世界観と、恐ろしくマッチしたゲーム設定、バランス、どれをとっても素晴らしいの一言でした。リメイクの度にその完成度も高くなり、PSPのリメイクに関しては、ゲームとしての没入感は増していたように思います。

 しかし、それ以上にゲームとして完成していたのは、その次の『PERSONA4』でした。『PERSONA4』は3のシステム上のいらいらを全て解消し、スッキリとUIもまとめあげ、ゲームとしての心地よさは当時でもトップクラスでした。今でも、その思い切ったUI回りや、システムには驚きます。尚且つ、3の舞台や物語にあった粉砂糖のように甘ったるい世界観(究極の中二病的世界観)からも脱却し、より幅広い層に支持を得られるようにもなりました。事実として、映像化(アニメ化)は3よりも4のほうが先でしたし、その後のメディア展開、よくわからない続編のオンパレードなど、4のほうがより消費者に求められる作品に昇華されていた、ということを表しているのではないか、と考えています。

 ただ、僕は3と4は、やはりよく似ているなぁ、と感じるというか、ほぼ同じ話を作り替えてるのではないか、と最近考えるようになりました。

 もちろん、3と4は同じ世界の話ではありますが、この作品は物語は別個のものとして進んでおり、3に出てきた世界の終わりであったり、影時間という概念はなくなっています。代わりに出てくるのはテレビの世界(マヨナカテレビ)と呼ばれるもので、文字通りテレビの中に入り込んで、主人公たちは自分たち、もしくは登場人物の心の闇を取り除いていく。もしくは、悩みなどを解消していく、という筋です。3では夜な夜なタルタロスという謎の建造物で、よくわからない異形共とドッタンバッタンの叩き合いをしていたことに比べると、何の接点もない別世界に思えます。4のほうが、より卑近な物語に思えます。

 しかし、3も4も、【世界を救う】という意味では、あまり変わっていないのではないか、と思います。これはつまり、「世界とはなにか」という問題につながるかと思います。3では、世界とは文字通りの世界であり、全世界のことです。ただし、その描かれ方は、ある意味で卑近でした。つまり、無気力症の患者が増えている、という目に見える形でそれを表現していました。そして、本当の世界の動き(町の外の動き)は、寮にあるテレビでしか知ることは出来ませんでした。(ここも、ある意味で面白い接点である。3では世界を知るための装置だったテレビに、4では入っていくのだ)そして、高校生においての世界というのは、ある意味でそういうものでもあるわけです。4の世界とは、あくまで稲葉市という田舎の町の中だけです。3とは規模が全く違うように見えるかもしれませんが、高校生や子供の世界というのは、それくらいのものなのです。それは視野が小さいとかそういう意味ではなく、そういうものなのです。だから、商店街の話し声、うわさ話、それらの差異で世界というものはガラリと姿を変える。高校の友だちの話す態度で、まるで世界から突き放されるように感じる。大人から見たら些細な事ですが、それも世界の一つの表れ方なのです。そういう意味で、3と4の世界というのは、ある種地続きで、物語も同じ筋道と言えます。

 3も4も主人公は転校生です。そして、3の主人公は死に、4の主人公は都会へ帰っていきます(GOLDENではその後がありますが)。これも、高校生からしてみたら、街から離れるというのは、死別に近いノリがあります。ただ、どちらも別れがあるからこそ、それまでの過ごした時間というものが尊く、また戻ってこないからこその悲しみもあります。

 影時間やマヨナカテレビというのは、ある種時間を止めている時間とも言えるわけです。その間、世界は主人公たちの課外授業のためだけ、モラトリアムのためだけに存在しています。3ではその存在の打倒に向かうという、非常にアンビバレントな状況を主人公たちは嘆く場面もありました。4ではそこら辺はアッケラカンとしていましたね。と言うより、3がセカイ系だったのに対し、4は日常系の作品だった、とも言えるのかもしれません。いつかは終わる、と言いながらも、4は幾度も蘇っているし。

 ただ、3ではそこをきちんと描き切っていました。FESという、3の続編では機械人形だったアイギスを主人公に、3で死んだはずの主人公の魂を助けに行くという物語が進行します。どこぞのファイナルファンタジーならば、真のエンディングで主人公が蘇るなどもあるかもしれませんが、この作品はそうはしませんでした。殺したままです。だからこそ、主人公がこの世に生きた意味が付与されるという、あまりにも悲しい終わり方でした。ただ、物語としては、文句のつけようのない終わらせ方だと思います。冥界巡りをモチーフにゲームを作り、ここまでやりきったことは、ほんとうに尊敬に値することだと思います。

 それに比べると、4の物語はそこまでの深みはありませんが、ただ描いている内容はそう変わらないな、と思います。逆にまとまっていて、スッキリとわかりやすい、腑に落ちる話にはなっていると思います。中二臭さもあまりありません。

 ただ、それでも僕は3にもより優れた部分があり、それは製作者サイドも考えているんじゃないかなぁ、と映画を見て思いました。

 映画で何度も絵として表現されたシンメトリー。対峙する何かが、画面の右と左に分かれている構図。これは、この作品を通じて表現されている生と死の比喩でもあるわけです。そして、主人公たちが通う学校の校訓は「調和する2つは、完全なる1つに勝る」というものですが、生と死はどちらも調和がとれているからこそ、この世界は成り立っている、といえるのです。

 何かを失うということは、何かを得ることと同じなのではないか、という哲学的な問にも似ています。何かを喪失して、初めて存在が付与される。もしくは、在と不在の関係性にも似ています。未来を得るということは、何かを失っていることと不可分です。しかし、生きるということは、何かを失い、そして何かを得るという、この両翼で必死に藻掻いていくことに他なりません。

 ストレガもまた、主人公たちの生の一部であり、最後に現れたシャドウもまた、この世界の一部といえるわけです。それらを打ち倒し、生を勝ち取ったかに見えた主人公は、静かに息を引き取ります。そして、全てを許し、慈しむように、エンディングが流れだす。今までゲームの中で過ごしてきた時間を噛みしめるように。もう最高。

 4も良いけど、3のこともたまには思い出してあげてください、と思っていた僕には、いい映画体験でもあり、また色々なことを考えることが出来て、良かったです。またゲームもやろう。

 それでは、こんな所で。

これが現実なのか~『マネーショート 華麗なる大逆転』を観て~

www.youtube.com

 

 

 映画『マネー・ショート 華麗なる大逆転』を観てきました。

 非常に面白かったです。ただ、不思議な映画でした。

 上の予告映像はいつものように、あんまり当てにならなかったのですが、予想以上に不思議な後味で、なんというか、すごく驚きました。

 

 

 この作品はマイケル・ルイスの原作がありますが、それはまだ読めていません。『マネー・ボール』と『ライアーズ・ポーカー』は読みました。後者はこの映画を見る上で読んでおいても良いかもしれません。ある意味で前日譚になるかと思います。映画冒頭に出てくるルイス・ラニエリによるモーゲージ債の生誕秘話など、面白おかしく読めます。『フラッシュボーイズ』も読んでみたいですね。

 原作は読めていないのですが、映画を見てるうちに「マイケル・ルイス節」みたいなのがあって、本を読んでる時と同じような感覚に襲われました。一言で言うなら、”ドライブ感”という感覚に近いです。こう、たぎってくるというか、前傾姿勢になってしまうような感覚です。扱っている内容は金融商品の名前や仕組みばかりなのに、そのドライブ感で普通に見れてしまう、という映画でした。

 ただ、それは『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』のような感じとはまた違います。あの映画のようなイケイケなシーンもちょっとはありますが、アレに比べると全く無いに等しいです。ただ、『ウルフ・オブ…』と同じだな、と思われる部分があるとすれば、それはドライブ感があるけどほっぽり出されてる感もある、ということがあると思います。

 

 この映画、気持ちよくはないです。

 エンディングもそうですが、説明や人物描写や演出も含めて、全てが投げっぱなしです。と言うよりも、誰も裁かれません。誰しもが自分の欲望に忠実に生きた結果、なにも解決できぬまま、経済は崩壊し、その崩壊の余波が庶民を襲い、そして主人公たちは大金を手にして去る。去り際に、怒りだけを残して。しかもこれが、現実に起こっていたことで、日本にも影響が及ぶほどの、津波のような出来事だった。

 ただ、その後味が非常に良かったです。

 個人的には85点です。

 

 

あばよ火星!~『オデッセイ』を観て~

www.youtube.com

 

 リドリー・スコットの『オデッセイ』を観てきました。

 面白かったです。色々ネタバレで行きます。

 

 

 

 まず、一番良かったことは、映画が始まって10分以内に大きな事件が起こったことです。なんというか、ダレる隙間が全く無い。

 こっちとしては、散々予告でどんな映画かわかってるわけです。「はよマット・デイモンを火星で一人にさせろや」とか思わせる暇もない。いきなりもう火星でひとりぼっち。最高。

 そういうのが面白い作品もありますが、そこでダレる作品もあります。まぁ、リドリー・スコットはどっちかって言うと「ブチかまし系」の監督だと思うので、このノリはありだと思います。

 

 次に、マット・デイモンですね。もうね、マット・デイモン力(りょく)が炸裂してます。最初の「ええこと思いついた!」と叫ぶマット・デイモンを容赦なく襲うアンテナのツッコミ。火遊びするマット・デイモンにこれでもかと振りかかるドリフ的爆発。予定調和のように消し飛ぶ家庭菜園。それら全てを乗りこなすマット・デイモンの顔芸。最高。

 刺さったアンテナを取り出すときの顔芸など、初っ端からエンジン全開でした。フーフー息はいてるのも良かったですね。

 

 全体的には、ポジティブな映画なことも好印象でした。そもそも、内容としてはかなり孤独で絶望的な話なのですが、原作も含めて前向きなノリ。それがとても見やすくて、誰にでも薦められる作品になっていると思います。

 また、そういう孤独や絶望を全面に押し出した宇宙物の作品というのは、過去にもたくさんあったかと思います。近年で言うと、アルフォンソ・キュアロンの『ゼログラビティ』などは、テーマ、映像、物語、全てにおいて超弩級の作品だったと思いますが、その方向で勝負しても、『オデッセイ』が勝つことは難しかったと思います。その方向ではなく、楽しく、一緒にノリノリで火星生活をエンジョイできる作品というのは、良い方向性だと思いました。

 個人的には、85点です。

 

 

 

良い奴! アメリカ!~『ブリッジ・オブ・スパイ』を観て~

www.youtube.com

 

 映画『ブリッジ・オブ・スパイ』を観てきました。近年のスピルバーグ監督作品としては非常に評価が高く、Rotten TomatoesやIMDBでもポップコーンが弾けまくってる作品です。

 作品の内容としても、この時代に流すべき主張を描いている大作です。

 ただ、個人的に言うと、今ひとつでした。色々とネタバレのことをぶつくさつぶやきます。

 

 

 

 

 まず言いたいのは、なんで主人公はスパイを助けるのか分からない。

 別に、理由が全くわからないわけじゃない。それで、人の命を救えるし、それが法律だからだ。主人公も映画で最初のほうで言ってる。「アメリカは法律が作ってるんだ」と。別にそれはいい。よく分かります。

 ただ、だからと言って、このトム・ハンクスがスパイを助ける理由にはならない。葛藤は少し描いていたけれども、基本的に主人公は家族のことも顧みず、勝つ見込みの無い弁護を引き受ける。(しかも勝ってしまったために、家に銃弾までぶち込まれる)

 それがなぜなのか。例えば、そういう、何か事件が過去にあったのか。それとも、揺るぎない信念があったのか。それとも、単にトム・ハンクスが良い人っぽくて、困ってる人を見たら、助けずにはいられない、草なぎ剛みたいな人なのか。この映画では全く描かない。

 多分、さっき言った、映画の冒頭に出てきた「ルールを守る」という信念が、彼をそうさせた、というのが答えなんですかね。そうだとすると、スパイを交換するのは、そういうルールはあるの? 戦争法みたいなので。あったら、主人公の出番は全く無いわけですよね。

 ここで主人公がとってる行動はルールとかどうでもよくて、人を助けることが一番大事なことだ、という自分の主義を持ってる、ということでしょう。だからドイツでも、学生を助けようとするわけでしょう。

 追い打ちを掛けるように、最後の最後、ニュースでスパイを交換したことを告げる時、聞き逃してはいけない言葉が出てくる。「大統領が特例で」と言っている。これはルール内の話なのか? それってだから、ルールなんてどうでもいいってことじゃないの?

 で、結局主人公がこの事件に巻き込まれた唯一の理由というのが、ただ彼が【良い人】だったから、に落ち着いてしまうんですよね。しかも、何の説明もなく。

 それで僕はもう、トム・ハンクスだから、こういう主人公なんですよ、みたいに感じたわけですよ。何も説明しないけど、トム・ハンクスが渋い顔で寒い中頑張ってたら同情するでしょ? とか、ソ連のスパイはおあつらえ向きに老人を用意して、可哀想でしょ? 好きな絵も書けないし、好きな音楽も聞けないし、みたいなノリで話を進める。で、こういういい人たちだから、助けなくちゃダメでしょ、みたいな。もちろんそれは否定しないし、そういう考えの人とは仲良くしていきたいけど、この映画ではただの甘えにしか見えないんですよね。

 

 まぁ、これぐらいなら、普通に面白くなかったな、で終わったと思います。特にブログにも書かなくて良いかな、と思いました。映像的にはすごい良いし、ソ連のスパイのおじいさんを含め、KGBのおじさんとか良い味出してる人がいっぱいいて、そこそこ楽しめるし。主人公も、人の良いおじさんが頑張ってドイツまで行って、色んな人を助けたいい話だね、で終わる話だと思います。

 一番気に入らなかったのは、東西のスパイの扱いの描写です。結構これはイラッとしました。

 と言うよりも、これのせいで、それまでは割と好意的に思えたこの作品が、すごく下品なものに思えました。

 早い話が、「なんだ、ただのアメリカ万歳映画じゃん」と思ったわけですよ。

 

 まず、ソ連で捕まったスパイやドイツで捕まった学生の待遇の酷さ。これは、たしかにそうだったと思います。あの時代、ソ連とかの拷問とかやばかったとは思いますし、あれ自体はありがちではありますが、捕虜の描写としては正しいと思います。

 ただ、アメリカで捕まったソ連のスパイは、全くそういう描写がありません。と言うよりも、されてない。ていうか、絵まで書いてる。絵の具もらってる。

 実際にそうだったのかどうか、というのは、はっきり言って誰にもわかりません。アメリカで捕まったスパイは、本当に裁判をきちんと受けて、勝てばきちんとした収容所で、刑期を全うできたのかもしれません。逆に、ソ連でつかまった人はもう寝る間も惜しんで拷問水攻めライトビカーで暖房設備も全く無い、いや本当にもう、同じ人間とは思えないような責めを与えるわけですよ。

 もちろん、本当だったかもしれませんよ? でもそれって、ハリウッド映画でやっちゃうと、もの凄いプロパガンダ臭がしませんか? というか、すごい下品だと思いました。

 これって、早い話が「アメリカは凄い民主的で良い国で、他の国は利己的でひどいです」って言ってるようにしか見えないんですよね。

 もちろん、主人公に対しての激烈なバッシングとかで、アメリカの暗い部分を見せてる、とも言えるかもしれません。ただその考えって、あの頃のアメリカだったら普通ですよね。銃弾打ち込むかどうかはあれですけど。しかもそれって、主人公が勝手に裁判で勝ってしまったから起こってることじゃないですか。スパイとかは、国が個人を蔑ろにした結果捕虜になってるわけでしょ。意味合いが違うと思います。しかも、ソ連の捕虜への扱いも、普通だと思うんですよ。戦時中なら。

 でも、捕虜の扱いの一点だけ、えらいアメリカを美化してるんですよ。これは相殺できないですよ。何回も言うように、本当にそうだったから描いているんだとしても、アメリカがそれをそういう風に描くのは、フェアじゃないんですよ。死体に蹴り入れまくってるようなもんなんですよ。

 ぼくはもっと、おじいちゃんをボコボコにしたらいいのに、と思いました。凄いひどい発言だとは思いますけど。それでやっとイーブンだと思うんですよ。特にハリウッドの映画なんだから、それくらいやらないと、ホームアドバンテージ?みたいなのあるじゃないですか。そこのさじ加減間違うと、プロパガンダ映画になってしまう。

 で、なんでこの話がイラッとしたかって言うと、僕は上述した、トム・ハンクスの言葉が気に入っていたからです。トム・ハンクスは、スパイの弁護人としてCIAにこう聞かれるわけです。「あいつはなにか喋ったか」と。それに対して、弁護士のルールとして、依頼人との話は他言できない、と答える。CIAは「戦争中なんだから、ルールなんかどうでもいいだろう?」と言う。そこで、トム・ハンクスは逆に質問をする。「お前の親はどこの国から来たんだ?」と。そして、自分もアイリッシュだと言い、何がアメリカ人を決めるか、という所で「ルールがこの国を作ったんだ」と諭す。だから、ルールを破ることは出来ない、と。

 僕はこのシーンだけなら、100点満点です。大好きですし、この話はこの時代にこそ求められている答えだと思ったからです。

 異文化を許容し、すべての人にできるだけ平等であろうとする、という信念があると思ったからです。それがこの映画の根本なんじゃないかな、と思ったんですよ。

 なのに、ですよ。やってることはルール関係ないって感じだし、スパイの扱いの描写に関して言えば、アメリカ以外はダメダメですよ、という感じですよ。

 

 そういう意味で言うと、最後の結末もひどいですよね。

 だって、あのおじいさんKGBに殺されますよ。「ハグしてもらえるか、黙って後部座席に座らされるかで分かる」という言葉をそのままで受け取るなら、ですけど。

 で、それに対して、主人公は全く何の葛藤もないんですよね。アメリカ人を救うために、心通わせたはずの老人を断頭台に送っておきながら、主人公は全く悪びれず、「これで故郷に帰れるよ」なんて言うわけですよ。KGBに「彼の帰国後の処遇は?」なんて聞いてましたけど、結局は何の意味もない質問でした。なんか、「処遇がひどそうなら、返さないでおこうかなぁ」とかいうのも無いですよ。

 いや、故郷で死にたいっていう気持ちも分からんでもないですけど、そこはもっと丁寧に描写しても良かったんじゃないのか、と思います。だって見ず知らずのアメリカ人パイロットと、少しでも話したおじいさんとで、そんな簡単に天秤にかけれますか? それをただの美談にするってのはすごく不謹慎だと思いますよ。こう、アメリカ人を救うために、死んでくれっていうシーンは必要じゃないんですか。

 それって本当に【良い人】なんですかね。

 で、アメリカ人二人を救って、それをニュースや新聞で大々的に報道して(ニュースで流すか?って思いましたね)、アメリカ人で一番の嫌われ者だった主人公の面目躍如、という感じで終わりましたけど、あれも裏を返せば「アメリカ人を助けたから」みんなから好かれたのであって、それって異文化の許容とは全く逆ですよね。それ自体は美談じゃなくて、アメリカ人として恥ずべき部分じゃないんですかね。わからないですけど。

 それで、これみよがしにフェンスを飛び越えてく若者が車窓から見えるわけですよ。ドイツでは銃殺だけど、アメリカでは自由だ! アメリカ最高!って感じで。すごい失礼ですよね。だって、今までの話総括すると、アメリカで入国手続とらない奴は死んでもいい、ってことじゃないですか。そういう意味でのルールですよってことでしょ。しかも、別にそんなルールもアメリカ人じゃなければどうでもいいしね、って感じですよ。

 

 まぁ、というのは僕の心が荒んでるからなんでしょうね。

 非常に映像も綺麗で、楽しい映画でした。

 個人的には、50点です。