ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】ただただ楽しい~『デッドプール』を観て~

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 アメコミ映画『デッドプール』を観てきました。

 海外ではかなりの大人気で、すごい売れてると聞いてます。日本ではあんまり有名でないキャラクター(と思ってますが、そうでもないのか)なので、日本でも同じような売れ行きになるか、というところですか。

 海外では大人気のキャラクターでもあるので、前々から実写化自体の計画はあったと聞いています。それこそSPAWNができたんだったらこのキャラクターのほうが作るの簡単なようにも思うのですが、結局はウルヴァリンのちょい役でそれっぽいのが出てきたのみ。今回、満を持して実写映画化。最近のマーベル・シネマティック・ユニバースの一員として、新しいX-メンの時間軸で登場、という感じでした。

 ネタバレで、感想を書いていきます。

 

 

 個人的には、80点位です。ただ、もっと面白いかな、と期待していたところも正直。

 実際に、トレーラーでも出てくる車のシーンに関しては凄くいいです。身内いじりと映画自虐ネタを詰め込んだオープニングから、息もつかせぬような激しいアクションシーンなど、序盤の詰め込みっぷりなどは凄い面白いです。おしゃべりをしながらのアクションも、ついついニヤッとしてしまうような敵の倒し方も小気味よく、アクションシーンだけ切り取ったらもう満点です。

 もちろん、アクションだけではなく、ラブシーンもアホらしくて凄く良かったです。祝日に合わせて幸せな時間の経過を描く、という形でしたが、ライアン・レイノルズの面目躍如というか、顔はいいけど情けない、というキャラクターに非常にマッチしています。あと、ヴァネッサ役のモリーナ・バッカリンがエロすぎて最高でした。個人的には、登場時の短い髪のほうが好みです。あとSMの女王様やってる時一瞬写った黒髪の時とか。これぞ娼婦、みたいな顔というか(失礼)。名前だけの繋がりであれですけど、エンジェルウォーズに出てきたヴァネッサ・ハジェンズに雰囲気が似てる感じがして良かったです。

 X-メン側として出てくるコロッサスとネガソニックもキャラは立ってるし、それぞれに本当にきちんとした活躍の場も用意されてる。全てにおいてきちんと交通整理されてるというか、よく管理された映画だと思います。

 普通に楽しいですし、カップルとかも「ウヒョー」って感じでみんな楽しんでいたんで、僕も普通に映画館で観て全く問題ない、凄い面白い時間を過ごせました。

 

 ただ、個人的には、もっと面白いかな、と思ってました。

 気になった点を3点、以下に書きます。

 

デッドプールのキャラクター造形について

 デッドプールというアメコミキャラは「狂っている」ということが大きな特徴と言えます。その「狂ってる」描写が、少し弱かったんじゃないだろうか、という感想です。

 もちろん、残虐な殺し方であったり、第四の壁の破壊(画面の向こうの観客に話しかける)などは狂ってる要素ではあるんですけど、なぜかあまり変に見えない。なぜだろう、と思ったんですけど、たぶんそれは、デッドプール自身をきちんと客観的に描写するシーンというか、コロッサスとかに「あいつどこ向いてるんや」というシーンをもう少し増やしても良かったのではないか、と思います。

 あと、これは原作とは違うかもしれないんであれですけど、そもそもウェイドさん自体が若干狂ってる人って描写だったので、デッドプールになってからもあんまり変わらないように見えてしまう、というのもあったのかもしれません。

 

②話の構成が少し複雑

 この作品は

 残虐な殺陣 → 昔話 → 殺陣 → 昔話 → 昔話

 という風に、ブレーキが多いのが印象に残りました。確かに、「なんでデッドプールはこうなったの?」とか「赤い服はなんで着てるの」とか、謎に思うのは思うんですけど、それを説明するためにいちいち過去の話を挟むから、あんまり乗れない。というか、テンションが一旦リセットされる。これ、DCですけど『マン・オブ・スティール』でも同じ感想だったんですが、こっちが「ウッヒョーーー」となるギリギリでテンションリセットされるんで、糞詰まりみたいな気持ちになるんです。もう少し、まっすぐ話をできても良かったんじゃないのかな、と思います。ここらへん、最近で言うと『シビルウォー』は全くもって真っ直ぐなわけですよ。まっすぐだから、観客のテンションの持って行き方もだいぶ楽なんです。一緒に乗れるわけだから。

 この映画はそこを解消するために、過去の話でも残虐な殺しをしまくるわけですね。スケートリンクの殺し方はすごい良かったです。そこら辺も含めて、この映画は非常に考えられて作られたんだな、ということはよく分かります。ただ、それもまたブチ切りになってしまうので、ちょっとテンションの持続という点では、物足りないかな、という感じでした。

 

③敵が微妙

 これは完全に、言いがかりレベルなんで別に気になる人はいないと思いますが、敵の能力が微妙というか、地味。なおかつ、地味な割によく分からない。

 フランシスとエンジェルの二人が敵ですが(X-メンでエンジェルでこっちかよっていう)、二人の能力の説明はきちんとされています。フランシスは特にきちんとされてます。人一人簡単に持ち上げられる身体能力と、痛みを感じない体。その副作用として感情がなくなった、と。ただ、結構笑っていたり、なんか怒ってたりするんで「ほんとかよ」って思うので、ここももう少し描写を割いても良かったかも、と思ってしまいました。「お前にも感情あるじゃねーか」的なベタなのはいりませんが、なんかこう「あ、こいつ本当に感情無くなってるな」という描写もあんまりない。役者さんは凄い頑張ってて、普通に喋ってるだけでそういう感じは出てるんですけど、「ただの大根なんじゃねーか」という風にも思えました。そんなことはないと思いますけど。

 あと、所長感が全くないっていう。火事のシーンで白いシャツ一枚に消火器持ってるのは冗談キツすぎるぜって思いましたね。

 エンジェルも、「力強いんで」っていう凄いアホみたいな能力ですけど、力強いだけじゃなくて凄い頑丈じゃん、というので「まじかよ」と思ってしまいました。力強いだけじゃないんだ、っていう。よく考えたら、すごい力でぶん殴れるってことは、体全体が頑強じゃないとできないよな、ということに気がつくべきだったんですけどね。これはもう、僕がアホだっただけの話なんですけど。

 

 色々言いましたが、これらも全て自分で勝手にハードル上げてしまった結果なので、普通に楽しい映画が観たいって人は気にならないと思います。

 あんまり期待するってのは、良くないってことがよく分かりました。

【ネタバレ】在りし日の管理された思い出~『COP CAR』を観て~

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 ケビン・ベーコン出演の『COP CAR』を観てきました。

 前評判で、これは良さそうだ、と思い、近場の映画館に乗り込んだ次第です。

 ネタバレ全開ですが、よろしくお願いします。

 

 

 まず、全体としては、凄く良かったです。と言いましても、この作品、上映時間は凄く短い。1時間半くらいですかね。かなり短いです。話自体もかなり急ピッチで進むといいますか、事態があれよあれよという間に転がっていき、最後にはそう来るか、というオチが付くという感じです。話自体も、ほぼ予告の内容で事足りるというか。

 音楽の使い方も良かったです。メインテーマも不穏な感じでカッコ良かった。

 あと、この話って大体一日で終わる話だと思いますが、昼頃から夕方になり、そして夜になるという当たり前の風景が、やけに美しく胸に残ります。昼間っから愉快に友達と隠語連発の楽しい旅だったはずが、いつのまにやら銃をつきつけられ、正義の味方であるはずの保安官にも脅され、最後には真っ暗闇の中、家に向かって全力疾走をするという、ある意味でジェットコースターな人生ですよね。

 

 冒頭での少年たちが、やることなすことが無鉄砲すぎるし、10歳位なので、計画もずさん。最初に例の車を見つけた後の行動を見ると、ただ遊んでいるだけにしか見えません。ただ、この頃ってこういうの大真面目にやってたよなぁ、と懐かしい気持ちになります。パトカーにタッチしようぜ、なんて、何考えてんの、という感じです。

 ここら辺は、『スタンド・バイ・ミー』観てる感じですね。小学生くらいの少年二人による、幼少期のいい思い出。素晴らしい。

 ただ、銃で遊んでる時なんかはホラー映画の何倍も怖いです。あぶねーから! 銃口を覗くな、マジであぶねーから! と映画館で思わず叫びそうになりました。親の気持ちになれる映画でもあります。まぁ、最後には結局銃が暴発するというところも含めて、いわんこっちゃない、という親の気持ちに。

 なんというか、コメディとホラーをうまい具合に融合させられてる気分ですよね。

 

 あと、ケビン・ベーコンの演技も、本当に良かった。出てくる人みんな良かったですけど、ケビン・ベーコンの、あの「優しいけど凄い怖い」感じは、さすがだな、と思います。子供たちに語りかけてる言葉の端々に「あれ、この人、やっぱなんかおかしくないか?」という感覚。しかもこの映画のケビン・ベーコンは、本当に普通の警官なんですよね。普通の悪徳警官。だから、レクター博士みたいなサイコパス的なノリはあんまりないんです。それどころか、一生懸命頑張ってる。頑張って走ったりね。ただ、ところどころに「あれ?」「こいつ、やっぱりなんか変だぞ」というのを入れる塩梅が素晴らしい。ここら辺は、大変だったと思います。

 

 

 上映時間の短さに関しては、これは逆に良かったというか、語り口の上手さが際立つ結果につながったと思います。

 と言うのも、この映画はかなり情報を厳しく刈り込んでいて、一見すると説明不足に思える箇所が幾つもあります。

 それこそ、主人公たちが家出しているかどうか、最初は前情報なしだと分かりません。家の近所で遊んでるだけにも見えます。それを、少ない言葉であったり、情報で次第に肉付けしていく。なんで家出してるかの説明も全くありません。しかし、家族構成を聞かれるシーンで、それが若干分かるわけです。「ああ、この子は新しい父親とうまく行ってないのかな」とか、「お祖母ちゃんとばっかり遊んでいて、刺激が欲しかったのかな」とか。とにかく、情報は出すけれども、必要最低限で抑える。後は、物語の進行を邪魔させないようにする。それがこの映画の特徴です。

 そもそも、トランクにいたおじさんや、最初に死体処理されていた人も、なんでそうなっているかは分かりません。ケビン・ベーコンの悪事も「おそらく麻薬関係だろう」ということは分かりますが、何をしていたかまでは分かりません。そこも含めて、全てがきっちりと管理された情報統制の中で物語が進んでいきます。

 そう、すべての情報が管理されています。一シーン一シーンに意味があり、息もつかせない緊迫感があります。この緊迫感を2時間以上続けられると、逆につかれます。それに、これこそが映画の楽しみだ、とも言えます。

 近年、映画はそのお株を長編ドラマに奪われています。映画以上の予算規模で作られたドラマたちに比べ、映画というものがどうやって太刀打ちするのか。時間を長くして、前編後編に分ける? いえ、違います。逆に要素を切り詰めて、短くすることです。

 これは、昨年の話題作『マッドマックス 怒りのデスロード』でもそうだったかと思います。あの作品はもう少し長い作品でしたが、それでも要素を徹底して切り取り、必要な情報以外は出さず、物語の邪魔をさせないようにしたことで、緊迫感とドライブ感を演出していました。そのせいか、あの映画は観た後異様に疲れます。情報量が多いから。

 この映画も、実際に画面や言葉に付随する情報は多いです。しかし、それは非常に厳格に管理された情報なので、観客の物語への没入を邪魔しません。登場人物、場面、言葉、すべての要素を必要最低限に切り詰め、大事なことだけを客に伝える。これが、今後の映画の指針になるかもしれません。

 

 とまぁ、色々イイましたが、単なる少年二人のハチャメチャ珍道中としても充分楽しめる作品だと思います。

 個人的には、85点です。

【ネタバレ】生きとし生けるものすべて~『レヴェナント』を観て~

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 映画『レヴェナント』を観てきました。

 アカデミー作品賞をとった、ということもありますので、非常に楽しみにして行ってまいりました。

 ネタバレ全開で行きたいと思います。

 

 

 

 まず、映画として本当に最高の体験ができると思います。

 この作品は題材的には3Dで観る必要はないようにも思いますが、映像の素晴らしさ、美しさ、そして大自然の持っている「人間を全く顧みない冷酷さと優雅さ」を描き切っており、そのすばらしさを感じるためにも3Dで観ることも考えたほうが良いと思います。

 坂本教授が「本当の主人公は自然ではないか」とインタビューで答えていましたが(公開前なのに、完全ネタバレのインタビューで笑ってしまいましたが)、その言葉に偽りなし、といったところ。

 そして、アメリカの裏の顔というか、最近は題材にされていない開拓史を描いていることも、すごく面白かったです。テイザーくらいしか予備知識を入れずに観たんですが、すぐにインディアンが襲ってくるので「あ、これ、アメリカか」と分かります。ただ、分かったとしても、「これ、アメリカか?」と訝しく思ってしまうほどに、今のアメリカからはうかがい知れない側面でもあります。

 そもそも、インディアンが強すぎる、と言うか、怖すぎる。僕は寡聞にして知りませんでしたが、確かにアメリカ人(開拓者)にとってのインディアンとは、こういった存在だったのかな、と思いました。だからこそ、あそこまで迫害されたのだ、と。それくらいに恐ろしく描かれていました。なんというか、話が全く通じない感がひしひしと伝わる感じです。それは言語が通じないとか、そういうレベルの話ではなく、見ている世界観、前提が全く違う、ということです。

 途中で、フランス人とインディアンが物々交換の交渉をしているシーンが有るんですが、それがまさしく、言語は通じているけれども、考え方が全く違うシーンになっていると思います。もう、話が通じない。マジで。

 ただ、ここでは全く話が通じないこのインディアン、動いている動機は主人公と似ている点が何度も映画中に出てきます。それが「娘を取り戻す」というものです。だから、僕らがディカプリオを通じて観ている話に似ているのに、なんか理解できない。それどころか、その執拗さが気味が悪いくらいになっている。ただ、ディカプリオも、最終的には同じ境地に達します。最後、トム・ハーディを追いかけさせてくれと隊長に頼むシーン、隊長と話しているディカプリオは、もはやあのインディアン達と同じような存在でした。もはや、全く話が通じない、生きている世界が違う存在。

 

 イニャリトゥ監督は、前から一貫したテーマってのがあるのかな、というふうに思っていたのですが、今回の映画を観て、広義の意味での「自然と不自然」を描こうとしているのかな、と思いました。異質なものと異質なものとの邂逅を通じて、それが結局は止揚していく様を描こうとしているというか。なんというか。細かく見ていくと色々と違うんだけど、遠くから見てみると、全ては自然な成り行きにそって進んでいく、という物語を描こうとしているのかな、と思いました。

 例えば、今作に幾度と無く出てくる大河。映画の始まりは、その川の流れをじっと映すシーンで始まるのですが、その流れ自体は自由気ままで、奔放な自然として目に映ります。しかし、それが次第にカメラが離れていくと、結局は大きな流れにまとめあげられて見える。

  それは今作で第二の主役とも言える、様々に用いられるサバイバル技術もまた、基本的には「自然から何かをもらいながら生きていく」ということに他なりません。人間は不自然な存在なように思えて、結局は自然の中で自然と共生しているとも言えます。それが、何かを食べるであったり、大河でディカプリオがすがりついた大木であったりするのかな、と。

 この映画で、主人公は多くのものに助けられますが、それと同じく多くのものを無くします。もちろん、子供もそうですが、主人公が歩く度、どこかへ行こうとする度に、何かを食べ、誰かを失い、そして主人公だけが生き延びる。その姿が圧倒的な威力で画面に焼き付いている。

 『バードマン』の撮影の仕方から、また新たな世界を見せているな、とも思います。どうやって撮ってるんだろう、と思わずにはいられないですね。

 

 あと、これは撮影方法の一つというか、ただ凄いと思ったのは、息でカメラが曇るところですね。これ、凄いというか、マジかと思いますよね。絶対、カメラを曇らせるのってダメじゃないですか、普通に考えたら。それをやる。

 僕実は、今回の映画を見る少し前、あることが原因でイニャリトゥ監督の評価を少し下げていました。それは、マッドマックスアカデミー賞をとったある人の服装について、すごいイラッとした視線を投げてたことに、個人的にはガッカリしたからです。

「イニャリトゥ監督って、作品自体は凄い権威に対して向かっていく作品が多いのに、そんな服装なんか気にするの?」と思ったからです。

 ただ、この作品を見て、その考えを改めました。なぜなら、イニャリトゥ監督にしてみれば、外見とかで反旗を翻すことにはあまり意味は無い。そうじゃなくて、作品でこそ語るべきなんだ、という意識があるんじゃないのかな、と。勝手にそう思いました。ドクロマークの服なんか着てなくても、俺は権威に対していくらでも牙を剥いてやるし、その結果として、権威に認めさせてやるぜ、という勢いを感じました。

 それが、このカメラが曇るシーンですよ。別にこれって、うまいとか、新しいとか、そういうことじゃないと思うんですよね。しかも、例えば画面が曇りでホワイトアウトして、次のシーンに移るとか、そういうものでもないんですよ。ただ曇ってるんですよ。風呂にも入ってねーきったねーレオナルド・ディカプリオの臭そうな息で、画面がただただ曇ってるんですよ。

 ただ、これが自然だ、というのも分かるんですよね。で、これを凄いと思わせるだけの持って行き方というか、そういう技術がすごいんじゃないかな、と思いました。

 

 個人的には、90点です。

 

 

 

無法地帯という言葉の意味~『ボーダーライン』を観て~

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 映画『ボーダーライン(原題『Sicario』)』を観てきました。

 僕はこの映画、色々と噂を聞くよりも前に、YOUTUBEでなんか映像が流れていたのを見たことで知りました。なんかスゴイ映像の映画があるんだな、と。そして、コメント欄を見てみると、どうやら日本ではまだ未公開の映画っぽい。そして、評価がすこぶる高い。

 評価の中身を見てみると、どうやら「戦闘シーンがすごい」とか「リアルな戦闘シーン」とか「戦闘シーンがえげつない」とか、お前ら戦闘民族かと言わんばかりの戦闘シーンべた褒め。

 主演もエミリー・ブラントだし、まぁ、トム・ハンクスのいない『オール・ユー・ニード・イズ・キル』みたいなもんだろ、と思って勇み足で観てきました。

 以下、完全にネタバレ全開で感想を書きます。

 

 

 

 一言で言うと、「重たすぎ」ですね。特に、最初の突入シーンの凄さと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあります。ここで、観てる人たちは気がつくわけです。「あ、この映画、なんでもありだ」ということに。『オール・ユー・ニード・イズ・キル』を観に来たつもりが、どうやら観てるのは『ノーカントリー』だと気がつくわけです。

 特に、初っ端の爆発シーンは、それを象徴しています。普通に考えて、開始10分であそこまでえげつない爆発させないですよ。もうそれで「この映画、エミリー・ブラントが死んでもおかしくない」となるわけです。

 映像、カメラ割りもいいのですが、何よりもいいのは音響です。最近の、重たい音がずっと鳴ってる、というのをよりマッシブにした、というか、もう耳に刺さるほどの不協和音をノイズ音楽みたいにぶち込んで緊迫感を表現しています。しかも、それが完璧なタイミングで車の音や、外の音と融け合ってしまうせいで、映画と現実の境目がなくなっていく感覚を味わえます。BGMは、BGMじゃないんですよ。それも一つの音として、世界に存在しているように感じるんですよ。

 この映画、アクションシーンはもちろんすごいんですけど、はっきりと「ここアクションしてますよ」というシーン自体は多くないんですよね。ただ、緊迫感がずっと続きっぱなしなので、まるでずっとアクションシーンの中にいるような感覚に陥ります。それを象徴するように、映画の最初のほうで、マットが言うセリフが「どこでも寝れる訓練だ」でした。つまり、普通の睡眠(安心できるシーン)がとれることはないぞ、という脅しです。そして中盤以降、銀行でエミリー・ブラントの顔が割れて以降は、本当に彼女には安息が与えられなくなります。ここら辺でもう、僕はすごい疲れました。この映画、なんてしんどいんだ、と。エミリー・ブラントの濡れ場寸前でこの仕打とか、悪魔の所業かとしか思えませんでしたね。

 ただ、一言文句を言うとすれば、アレハンドロの戦闘シーンに関しては「これってリアルか?」と思ってしまいましたね。だって、強すぎるというか、もはや007レベルに強いじゃないですか。まぁ、それも僕の映画見るまでの先入観があったから、というのもあるので、これに文句つけるのはおかしいかもしれませんね。

 

 あと、個人的にすごく面白かったのは、この映画には「麻薬戦争」とは別の戦いが描かれていまして、それは「平和を守るために法律を破るべきか」という問答ですね。まぁ、よくある問答ではありますが。

 この映画では、ジョシュ・ブローリンが、本当に法律を破って色々な謀略を繰り広げます。更には、主人公たちをその目的のために利用する、という始末。そして、彼を裁く人間は誰一人いない。なぜなら、彼には「アメリカの平和」を守るため、という免罪符が与えられているからです。

 しかし、それが意味するのは「法律なんて守る意味が無い」ということであり、それは麻薬カルテルが支配するフアレスと、もしかすると変わらないのかもしれない、ということです。

 この映画で描かれるメキシコという国は、本当に地獄です。毎日、橋から首なしの死体が吊るされ、子供たちがサッカーをして遊んでいるグラウンドに銃声が鳴り響くような場所です。アメリカはそんなことありません。まだマシです。しかしながら、実態はどうなのか。結局は、麻薬カルテルかアメリカの政府の違いくらいしか、そこにはないのではないか、と思わざるを得ません。

 特に、最後にエミリー・ブラントに銃を突きつけて「全ては法律に則ってやったとサインするんだ」というシーン。あれって、麻薬カルテルがやってることと同じですよね。あれはアレハンドロがやらせてるから、ある意味で弱くなっていますけど、やってることはアメリカもメキシコも同じじゃん、ということですよね。「それってどうなの?」という問題提起。

 これは、反スパイ法とかについてもきちんと考えなくてはいけないな、と思いましたね。反対するにしても賛成するにしても、その内容をきちんと見ておかないと、その法律はいつでも無効化されるわけです。というより、法律というものは国を縛るはずのものだ、という基本概念を持っておかなくてはならないな、と思いました。

 エミリー・ブラントが、ジョシュ・ブローリンたちの方法を嫌い、きちんと法律に則って悪人を懲らしめよう、と上司に提言する場面があります。ここのやりとりは、非常に良かったです。というのも、上司が言っていることと、エミリー・ブラントが言っている内容が、全く噛み合っていないからです。

 簡単に言うなら、エミリー・ブラントは「法律違反を罰することが平和を守る」と言ってるわけです。それに対して上司は「法律は足かせだ。だから、君たちのためにその足かせは外しておいたよ。法律なんて気にしなくていいよ」と優しく語りかけるんです。

 この交差具合。全く噛み合ってない感覚。上司にとっては、法律を守らないでいいよ、というのが、エミリー・ブラントのためになると本気で思ってるんですよ。なんなら、感謝してね、というくらいに。この発言を【法律に違反した人を捕らえることを職務としている】はずのFBIが言っちゃうんです。これはもう、凄い脚本ですよね。ただ、これ、現実にFBIがCIAと共同で参加するとなると、有り得る話なんですね。

 でもそれって、君らがやってることってなんなの? という話になりますよね。法律ってなんなの?という話になります。

 

 という風に、非常に重たい内容とテーマを詰め込んだ、かなりの力作だったと思います。

 個人的には85点です。

そろそろ骨休めもあると思います~『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観て~

 

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 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観てきました。

 公開するという話を聞いた瞬間、「え、マジなのですか」と驚いた作品です。それは「え、原作のあれをやるの?」という驚きと「またザック・スナイダーにやらすの?」という二つの驚きでした。

 正直なところ、前作『マン・オブ・スティール』についての評価はあまり高くありませんでした。ザック・スナイダーは大好きな監督ですが、『300』と『Watchmen』の二つ以外は、あまりいい作品に仕上がったとは思っていないのが、正直なところです。『マン・オブ・スティール』については、新たな表現の仕方を獲得したように思いつつも、色々言いたいことだらけの映画に仕上がったと思います。あと、もうクリストファー・ノーランはよくないか、というのも正直ありました。

 それでは、ネタバレ全開で行きたいと思います。

 

 

 

 ざっくり言うと、いいところは100点満点で、それを除けば退屈な映画でした。

 当たり前のことを言っているようにも見えますが、この「退屈」という言葉は、かなり問題じゃないかな、と思います。

 まず、この映画、2時間近く、退屈なシーンしかないです。一応、時折戦闘シーンがあるんですが、ほとんどは最後に持っていくので、ほとんどバットマンもスーパーマンも戦いません。映像的なスペクタクルが若干あるかな、という感じですが。

 しかも、なんか戦闘シーンが出てきた、と思ったら夢オチなんですよね。2回位あったかなぁ。夢オチは2回も使われると冷めますよ。途中で「あ、これ夢だろうな」と思ったら「なんだ、また退屈な話に戻るのか」と急激に冷めるんですよ。映像的にかっこいいんですけど、「なんだかな」となるんですよねぇ。

 個人的に、もっとバットマンの戦うシーンを増やしても良かったんじゃないの、というのが正直なところです。後述しますが、ザック・スナイダーバットマン向けの監督だと思います。もっとザック・スナイダーバットマンが見たかった。

 あと、ジェシー・アイゼンバーグ。僕、この映画の前に『ゾンビランド』と『ソーシャルネットワーク』を観て、アイゼンバーグポイントを高めていったんですが、「おまえ、それソーシャルネットワークの演技じゃねーか」みたいに思いましたね。いや、よりソーシャルネットワークっぽくしたというか。そういうのも含めて好きなんですけどね。

 あと、ゴッサム・シティはどこにあるんだ問題とか、凄いノイズでしたね。地理的にはブルックリンでいいのか?

  なので、映画全体としての評価は、どうしても低くなってしまうというか、「ずっと面白い作品ではない」という風に言わざるをえないですよね。最後のバトルシーンも、面白いっちゃ面白いんですけど、『アベンジャーズ』一作目のあの最後のバトルシーンと比べると(比べるのも酷な話ですが)、弱いですよね。盛り上がらないというか。それは、前作『マン・オブ・スティール』と同じだと思うんですよ。なんかスゴイこと起こってるんだけど、よく分かんない、というね。

 

 次に、最高、というか、「これはイイ!」と映画館で拳を握ってしまったシーンは、【バットマンの出てくるシーン】と【戦闘中の会話】です。

 バットマンの表現は、今までの映画化の中で一番怖い演出をしています。特に初登場シーンなんか、ただのホラー映画でした。ただ、この演出はすごい良かったです。「バットマンは恐怖の対象であり、変態的であり、だからこそ全ての人から嫌われると同時に、悪を討つ」ということを表現できているのは、本当に素晴らしいと思います。

 

 

 また、バットモービル! バットモービルは、バットマンを描く上で切っても切り離されない存在かと思われます。バットマンの映画化に伴い、必ず新しいバットモービルは出てきます。それくらい、象徴的なガジェットの一つです。

 ティム・バートンバットモービルは、今となっては古い気もしますが、それでもあのデザイン性と「本当に火を噴く」という最高の馬鹿っぽさで、今でも見たらテンションぶち上がりです。様々なギミックも入っており、ある意味でサイドキック的な役回りだったとも言えます。

 クリストファー・ノーランダークナイトシリーズでは、リアル路線(というべきか、象徴主義というべきか)では、戦車のようなバットモービルが出ました。これはこれで、「こんなバットモービル観たことない」と、賛否両論が巻き起こりましたが、見た目のゴツさ、映画的な盛り上げ、そしてやはり火を噴く。最高や!

 そして、今回のバットモービルですが、見た目は、、、、あまりかっこよくありません。なんか平たいし、画面も暗いのでよく分かりません。ゲームのやつが基なんですかね。アッと驚く新しい仕掛けもありません。では、何が良かったのか。それは、「残忍性」です。

 先程も書きましたが、今回のバットマンは怖いというか、もはや残忍な人殺しになっているわけです。ティム・バートンバットマンも、どこか話しの通じない感というか、残忍さがあったかと思いますが、それを上手いことハイブリットしてる感じですね。というか、今回は普通に人を殺してます。あれで死んでなかったら、テロリストこそマン・オブ・スティールですよ。その残忍さで、容赦なく、恐ろしい鉄の塊が、訳の分からないギミックを駆使して襲い掛かってくる描写が、もう、バットマン映画史上でも類を見ないシーンに仕上がっていると思います。

 バットモービルでのチェイスシーンで敵の車にワイヤーを引っ掛けて引きずるシーンがありますが、その引きずり方が、なんというか、ゴジラが尻尾引きずってるみたいな、暴虐な無軌道を描いてるんですよ。それ観た瞬間、「うおっ」と身を乗り出してしまいました。これはいい、これはカッコいい、と。そして、それを敵にそのままぶつける。最高。

 バットマンはマーサ救出の戦闘シーンも良かったですね。夢の中での戦いはそうは思いませんでしたが、やはり大人数を相手にして、ギミックと腕っ節で戦う姿はかっこいいの一言です。ここら辺の描き方が、ザック・スナイダーは上手いと思います。『300』ほど外連味のある映像ではありませんでしたが、人間らしい戦いっぷりと残虐性が増していることで、エモさすら感じます。ここら辺は、ノーラン版のバットマンの良さが入っているのかな、と。ティム・バートンバットマンにはなかったことですね。あれは、もはや人間ではなかったですしね。

 スーパーマンとの戦いは、まぁ、悪くなかったです。原作が、一発殴ることにあそこまでコマ数というか、テンションを持っていったことに比べると、若干弱かったかな、と思います。「人間はこうやって大人になるもんなんや」とかカッコつけるバットマンではなく、ただ怒り狂ってるバットマンなので、ちょっと違うのかもしれませんが。

 ちなみに、ベン・アフレックバットマンは、意外と悪くなかったです。ベン・アフレックは、基本的に何考えてるかわからない軽薄な人間やらせたら良い演技します。ていうか、そういう人なんだと思います。ヌボっとしてるというか。なので、今回のブルース・ウェイン役も良かった思いますが、どっちかっていうとレックス・ルーサーでも良かったんじゃないの、という思いも。ジェシー・アイゼンバーグが悪かったという意味ではありませんが。

 

 もう一つの良かった所は、戦闘中の会話ですね。これはね、すごい良かったです。

 敵対しているバットマンとスーパーマンの会話もええ感じでしたが、最後のワンダーウーマン絡みの会話はギャグ感満載で、すごいドライブしてました。「お前の連れか?」「いや、お前やろ」というノリ。ここで一気にエンタメ感が増して、最後のバトルを楽しくしていました。

 最後のバトルは、あまり一緒に戦ってる感が無いようにも思いましたが、この会話入れるだけで、なんか仲いい感も出てたし、うまいなぁ、と思いましたね。あと、バットマンのあまり役に立っていない感。いいですよね、ああいうの。キャプテンアメリカのポジション。もっと走ったらいいのに。

 

 

 

 とまぁ、言いたいことはいっぱいあるけれども、良い所は凄く良い、という感じでした。

 また、もう一人の主人公であるスーパーマンの活躍の仕方も、扱いが難しい感じでしたね。基本的に、スーパーマンはアベンジャーズでのハルクやソー的な役回りというか、「こいつが出てきたら基本何でもあり」という人なので、こういうお祭り的作品であまり主役でブイブイいわせるのが難しいのかな、というのも正直なところです。ただ、主役でブイブイ言わせても良かったはずの前作で、全くブイブイ言わせなかったことの罪も大きい気もしますが。そういう意味でも、クリストファー・ノーランには一旦お休みして欲しいところですね。

 それよりも、上述したような新しい味を出したバットマンを、もう少し味わってみたいですね。スピンオフ、、、にしては、ビッグタイトルになってしまうのでないとは思いますが、なんかやって欲しいですね。

 色々述べましたが、個人的には80点です。

不可逆性~『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』~

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 ちょっと前に、『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』を観ました。前の3作も観てきましたので、ついに終わった、という感じです。

 そもそも、TVゲームのPERSONA3からプレーしてきた身としては、10年近く同じ作品を楽しませてもらった、というのが正直なところです。時期はずれではありますが、いつも通り、ネタバレ全開でレビューします。

 

 

 

 まず、この映画の一番の売りは「絵の綺麗さ」だと思っています。

 一つの場面場面が、一枚の絵として見た時に、非常に美しい。特に#4の今回は雪のシーンが多く、CGを多用しながらもセル画と丁寧に溶け込んだ雪景色は素晴らしいの一言。この絵画のように美しいシーンの連続は、#2からきっちりと描かれてきたように思います。そしてこれは、ゲームでは難しかった表現だと思います。そういう意味で、ゲームのアニメーション映画化として、やった意味はあったと思います。と言うよりも、この作品が映画やアニメーションとしてゲームの外に出す意義というものが、結局はそれ以外にはなかったのかな、というのが正直な感想です。

 例えば、大幅に設定などを変更して、この作品の持っているテーマを掘り下げるようなことがあれば、なるほど映画化してよかった、意味があった、と言えるのかもしれません。しかしながら、今回の映画化ではそこまで抜本的な改変ではなく、どちらかと言うとゲーム(本編)の雰囲気を出来るだけ損なわないよう、できるだけ美麗な映像を作ることに注力していたに過ぎないからです。

 ただ、それだからこの作品がダメな作品とは思いません。絵の綺麗さ、この本編に幾度と無く現れたテーマ、それらを描き出すある意味絵画的な絵の美麗さは、それだけでこのゲームをもう一度映像化作品として世に出しても問題はなかった、と思います。本編ファンへの久方ぶりのご褒美としては、悪くない作品であるとは思います。エリザベスのシーンなんかは、もはや微笑ましいだけで、物語の勢いを削ぐくらいにしか思えませんでした。もしも、この作品をより映画として完成させようという気概があるならば(#2は、その意味では一番良かったかもしれません。改変の仕方もスムーズでよかったです。異様なまでのBL臭にビビりましたが)、もっと物語そのものに手を加えても良かったのに、という思いがあります。もうだいぶ時間も経っているんだし、そういう驚きを提供してもいいのに、というのはひねくれたファンのひねくれた考えなのでしょう。また、トリニティソウルの商業的な失敗も、それができなかった遠因かも知れません。

 とにかく、映画としては、70点。ですが、ファンとしては80点。

 

 ここからは、本編への徒然とした思いを書きます。

 『PERSONA3』というゲームはその世界観と、恐ろしくマッチしたゲーム設定、バランス、どれをとっても素晴らしいの一言でした。リメイクの度にその完成度も高くなり、PSPのリメイクに関しては、ゲームとしての没入感は増していたように思います。

 しかし、それ以上にゲームとして完成していたのは、その次の『PERSONA4』でした。『PERSONA4』は3のシステム上のいらいらを全て解消し、スッキリとUIもまとめあげ、ゲームとしての心地よさは当時でもトップクラスでした。今でも、その思い切ったUI回りや、システムには驚きます。尚且つ、3の舞台や物語にあった粉砂糖のように甘ったるい世界観(究極の中二病的世界観)からも脱却し、より幅広い層に支持を得られるようにもなりました。事実として、映像化(アニメ化)は3よりも4のほうが先でしたし、その後のメディア展開、よくわからない続編のオンパレードなど、4のほうがより消費者に求められる作品に昇華されていた、ということを表しているのではないか、と考えています。

 ただ、僕は3と4は、やはりよく似ているなぁ、と感じるというか、ほぼ同じ話を作り替えてるのではないか、と最近考えるようになりました。

 もちろん、3と4は同じ世界の話ではありますが、この作品は物語は別個のものとして進んでおり、3に出てきた世界の終わりであったり、影時間という概念はなくなっています。代わりに出てくるのはテレビの世界(マヨナカテレビ)と呼ばれるもので、文字通りテレビの中に入り込んで、主人公たちは自分たち、もしくは登場人物の心の闇を取り除いていく。もしくは、悩みなどを解消していく、という筋です。3では夜な夜なタルタロスという謎の建造物で、よくわからない異形共とドッタンバッタンの叩き合いをしていたことに比べると、何の接点もない別世界に思えます。4のほうが、より卑近な物語に思えます。

 しかし、3も4も、【世界を救う】という意味では、あまり変わっていないのではないか、と思います。これはつまり、「世界とはなにか」という問題につながるかと思います。3では、世界とは文字通りの世界であり、全世界のことです。ただし、その描かれ方は、ある意味で卑近でした。つまり、無気力症の患者が増えている、という目に見える形でそれを表現していました。そして、本当の世界の動き(町の外の動き)は、寮にあるテレビでしか知ることは出来ませんでした。(ここも、ある意味で面白い接点である。3では世界を知るための装置だったテレビに、4では入っていくのだ)そして、高校生においての世界というのは、ある意味でそういうものでもあるわけです。4の世界とは、あくまで稲葉市という田舎の町の中だけです。3とは規模が全く違うように見えるかもしれませんが、高校生や子供の世界というのは、それくらいのものなのです。それは視野が小さいとかそういう意味ではなく、そういうものなのです。だから、商店街の話し声、うわさ話、それらの差異で世界というものはガラリと姿を変える。高校の友だちの話す態度で、まるで世界から突き放されるように感じる。大人から見たら些細な事ですが、それも世界の一つの表れ方なのです。そういう意味で、3と4の世界というのは、ある種地続きで、物語も同じ筋道と言えます。

 3も4も主人公は転校生です。そして、3の主人公は死に、4の主人公は都会へ帰っていきます(GOLDENではその後がありますが)。これも、高校生からしてみたら、街から離れるというのは、死別に近いノリがあります。ただ、どちらも別れがあるからこそ、それまでの過ごした時間というものが尊く、また戻ってこないからこその悲しみもあります。

 影時間やマヨナカテレビというのは、ある種時間を止めている時間とも言えるわけです。その間、世界は主人公たちの課外授業のためだけ、モラトリアムのためだけに存在しています。3ではその存在の打倒に向かうという、非常にアンビバレントな状況を主人公たちは嘆く場面もありました。4ではそこら辺はアッケラカンとしていましたね。と言うより、3がセカイ系だったのに対し、4は日常系の作品だった、とも言えるのかもしれません。いつかは終わる、と言いながらも、4は幾度も蘇っているし。

 ただ、3ではそこをきちんと描き切っていました。FESという、3の続編では機械人形だったアイギスを主人公に、3で死んだはずの主人公の魂を助けに行くという物語が進行します。どこぞのファイナルファンタジーならば、真のエンディングで主人公が蘇るなどもあるかもしれませんが、この作品はそうはしませんでした。殺したままです。だからこそ、主人公がこの世に生きた意味が付与されるという、あまりにも悲しい終わり方でした。ただ、物語としては、文句のつけようのない終わらせ方だと思います。冥界巡りをモチーフにゲームを作り、ここまでやりきったことは、ほんとうに尊敬に値することだと思います。

 それに比べると、4の物語はそこまでの深みはありませんが、ただ描いている内容はそう変わらないな、と思います。逆にまとまっていて、スッキリとわかりやすい、腑に落ちる話にはなっていると思います。中二臭さもあまりありません。

 ただ、それでも僕は3にもより優れた部分があり、それは製作者サイドも考えているんじゃないかなぁ、と映画を見て思いました。

 映画で何度も絵として表現されたシンメトリー。対峙する何かが、画面の右と左に分かれている構図。これは、この作品を通じて表現されている生と死の比喩でもあるわけです。そして、主人公たちが通う学校の校訓は「調和する2つは、完全なる1つに勝る」というものですが、生と死はどちらも調和がとれているからこそ、この世界は成り立っている、といえるのです。

 何かを失うということは、何かを得ることと同じなのではないか、という哲学的な問にも似ています。何かを喪失して、初めて存在が付与される。もしくは、在と不在の関係性にも似ています。未来を得るということは、何かを失っていることと不可分です。しかし、生きるということは、何かを失い、そして何かを得るという、この両翼で必死に藻掻いていくことに他なりません。

 ストレガもまた、主人公たちの生の一部であり、最後に現れたシャドウもまた、この世界の一部といえるわけです。それらを打ち倒し、生を勝ち取ったかに見えた主人公は、静かに息を引き取ります。そして、全てを許し、慈しむように、エンディングが流れだす。今までゲームの中で過ごしてきた時間を噛みしめるように。もう最高。

 4も良いけど、3のこともたまには思い出してあげてください、と思っていた僕には、いい映画体験でもあり、また色々なことを考えることが出来て、良かったです。またゲームもやろう。

 それでは、こんな所で。

これが現実なのか~『マネーショート 華麗なる大逆転』を観て~

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 映画『マネー・ショート 華麗なる大逆転』を観てきました。

 非常に面白かったです。ただ、不思議な映画でした。

 上の予告映像はいつものように、あんまり当てにならなかったのですが、予想以上に不思議な後味で、なんというか、すごく驚きました。

 

 

 この作品はマイケル・ルイスの原作がありますが、それはまだ読めていません。『マネー・ボール』と『ライアーズ・ポーカー』は読みました。後者はこの映画を見る上で読んでおいても良いかもしれません。ある意味で前日譚になるかと思います。映画冒頭に出てくるルイス・ラニエリによるモーゲージ債の生誕秘話など、面白おかしく読めます。『フラッシュボーイズ』も読んでみたいですね。

 原作は読めていないのですが、映画を見てるうちに「マイケル・ルイス節」みたいなのがあって、本を読んでる時と同じような感覚に襲われました。一言で言うなら、”ドライブ感”という感覚に近いです。こう、たぎってくるというか、前傾姿勢になってしまうような感覚です。扱っている内容は金融商品の名前や仕組みばかりなのに、そのドライブ感で普通に見れてしまう、という映画でした。

 ただ、それは『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』のような感じとはまた違います。あの映画のようなイケイケなシーンもちょっとはありますが、アレに比べると全く無いに等しいです。ただ、『ウルフ・オブ…』と同じだな、と思われる部分があるとすれば、それはドライブ感があるけどほっぽり出されてる感もある、ということがあると思います。

 

 この映画、気持ちよくはないです。

 エンディングもそうですが、説明や人物描写や演出も含めて、全てが投げっぱなしです。と言うよりも、誰も裁かれません。誰しもが自分の欲望に忠実に生きた結果、なにも解決できぬまま、経済は崩壊し、その崩壊の余波が庶民を襲い、そして主人公たちは大金を手にして去る。去り際に、怒りだけを残して。しかもこれが、現実に起こっていたことで、日本にも影響が及ぶほどの、津波のような出来事だった。

 ただ、その後味が非常に良かったです。

 個人的には85点です。