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【ネタバレ】僕らがなりたい誰か~『ハードコア』を観て~

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 一人称視点映画として注目されていた(?)『ハードコア』を観てきました。

 個人的にFPS視点のゲームについては非常に苦手で、時々かじるくらいしか遊んでいないのですが、そんな自分でも予告編をひと目見て「これはFPS洋ゲーあるあるを詰め込んだだけの映画だろうな」と考えてしまうような、まぁ、オタクっぽい作品になってそうだな、と思いながら観に行きました。

 結果としては、まさしくその通りの映画になったと思います。しかし、凄く面白かったです。色々言いたいことはありますが、映画の始まりから終わりまで、ずっとハイテンションでジェットコースター気分を味わえるので、楽しいと言えば楽しい作品でした。

 以下、考えたことを連々と。

 

・基本的には洋ゲー

 物語、登場人物、全てが予想通りに洋ゲーのままでした。この映画は次から次に事態が進展し、飽きることがないばかりか逆に疲れるくらいですが、それはまさしくFPSゲームと同じだな、と思った。ヘイローにせよ、ハーフライフにせよ、物語をテンポよく進めていくと(ムービーシーンなどは入るが)基本的にはノンストップでゲームが進行してしまう。なので、ゲームに慣れれば慣れるほど、ある意味笑えるほどに物語の進行は早くなる。この映画を観ていて同じような感覚になった。

 

・大佐のようなキャラはよくいる
 あんまり死ななそうで、無駄に強いキャラで、なおかつ主人公の手助けをするようなキャラクターはよく洋ゲーで見る。主にギャグ要員として、ではあるが。フォールアウト3の最後らへんで味方になるゾンビとか強かった。

 

・人間の目はよくできている、という話
 この映画を観ていて、最後の方はかなり疲れてしまったのだが、その理由はなんだろうか。事態が次々と加速度的に進行していくことに加えて、人間が普段の生活で、ありのままに視界を処理してはいない、ということも理由なんだと思う。
 というのも、この映画の冒頭部分で喋れない主人公が首を振る(NOと伝える)シーンがあるが、僕達が首を振るときの視界は、あそこまで揺れてはいないように感じる。少なくとも、対話者がグラグラ揺れて見えるほどには。これはそこまで首を動かさない、というのもあるが、「そういう風に見えている」だけにすぎない、とも言える。つまりは、脳みそがあまり揺れていないようにそれ以外の焦点を外してしまっている、ということだ。
 普段、何気なく道を歩いているとき、人は自分の歩いている道の全てに焦点を当てている(パンフォーカス)わけではない。自分の注意が向いているものにしか焦点を当てないので、それ以外の情報は「見えているけど認識していない情報」となる。それは脳みそがフィルターをかけているということだ。そのフィルターを外すと、人間の脳みそがフル回転し、早い話がすごく疲れる。この映画で疲れる理由はそこだと思われる。
 特に、街なかでパルクールをするシーン(この映画のハイライトの一つ)があるが、そこがすごく疲れる。息もつかせないシーンであるだけでなく、様々な情報を脳みそが処理「してしまい」、かなり疲れる。どうすれば良いのか、と言うとあまり検討はつかないが、よりフォーカスをぼかすなどすればよいのかもしれない。あと、この作品で惜しいと思われる要素の一つに、急なカット切り替えがあった。いきなり暗転し、場面が少し変わっている、というような。パルクールの合間にもあったのは少し残念。技術やお金の問題もあり、非常に難しいとは分かっているが、これどうやってるんだろう、と思わせるような1カットをもっと残せたら、この作品は歴史的な一作になったかもしれない。今でも、十分怪作として名を残しそうではあるが。

 

・物語と映画の構造

 この映画は多分、そこまで脚本と映像に相乗効果をもたせようとは考えてなかったと思われるが、なんかメタ構造になってたように感じる。

 他の人造兵士に主人公の記憶を移して、言うことを聞くようにする、というものだ。つまりは、映画の観客者がそれに対応している。

 ただ、映画の内容としてはそれを若干否定している。自分というものを見失わず、自分の好きな自分になるべきだ、としている。

 となると、この映画自体を否定していることになるが、それはいいのだろうか。シンクロ率100%!とか言ってる割には、シンクロ自体を否定している。

 ただ、この映画の言いたいことを表してもいる。誰にそしりを受けようが、好きなものを好きなようにやる。例え、ゲームを実写でやっただけと言われようとも、やりたいことをやりきる。その精神は正しいし、今後も持ち続けてほしい。

 誰しもがなりたい自分にはなれないし、他の誰かをなりたい誰かにすることはできない。ただ、なりたい何かを目指してもがき続けるだけだ。

 たとえ、血を見る結果になるとしても。