ボディロッキンで激ヤバ

ワンパクでもいい。ボディロッキンで激ヤバであれば。

【ネタバレ】忘れられた男たち~『ナイスガイズ』を観て~

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 面白かったです。

 どうでもいいこと書きます。

 

 

ラッセル・クロウのキャラがカッコいい

 太っているのにカッコいい。それは、短い説明で深みまで教えてくれるその人物造型が素晴らしいからだ。

 彼の部屋がやけに象徴的だ。彼の私生活についてはあまり描写されない。妻の不倫により離婚したらしいシーンや、酒だけを箱買いしている以外、彼の私生活は出てこない。寂しさや孤独を表象するような彼の部屋は、ブレーカーをそのまま切って部屋を後にする。部屋のブレーカーこそが、言わば彼のスイッチなのだろう。

  彼の見た目はだらしなく、肥満で、老眼だ。そして、見た目に反して神経質であり、何故か女子供には優しい。しかしその優しさも、どこか狂気をにじませる。

 人の役に立つことが心地よい、と言いつつ、彼がやっていることは暴力そのものだ。もちろん、それ以外にできることがないから、という言い訳も立つだろうが、それはやはり異常だ。主人公の娘に優しい言葉を投げかけるときですら、その裏に怖さを感じる。父親の腕を折った後、その娘に対して全く悪びれる態度を取らないその姿はサイコパスのそれだ。

 この映画は、ただの娯楽映画であると同時に、このサイコパス的な人生を送っているラッセル・クロウ人間性を取り戻していく映画でもある。孤独で非人間的な暴力マシーンが、暴力以外の生き方を再獲得していく映画だ。

 

ライアン・ゴズリングはこういうキャラができるから仕事がもらえる

 エドワード・ノートンとは違うのはそこだと思うのだが、なんとなく、二代目エドワード・ノートン的な存在とはそもそも全く違う人なんだろうな、と思う。

 まぁ、よく考えるまでもなく、『きみに読む物語』で出てきた人なんだから、その通りなんだろうけど。

 エドワード・ノートンも糞野郎を演じさせたら凄い人だが、ライアン・ゴズリングの糞野郎は違う種類の糞野郎ということだろう。キザでニヒルで糞野郎。最高だ。『マネーショート』の役も当たり役だったといえる。

 

・キャラ同士の補完関係

 クズでどうしようもない奴だが、娘には優しく、頭の回転も早いライアン・ゴズリングと、女子供には優しく、一見常識人にも見えるがやはり狂ってるラッセル・クロウ。そして、その間を束ねるアンガーリー・ライスの存在。このトライアングルが生み出す空気感、関係性の心地良さが、この映画をただのB級映画から少し上等なものにしている。

 

・役者たちの素晴らしい演技

 特にアンガーリー・ライスの素晴らしい演技。二代目エマ・ワトソンと言える強気と弱さの融合具合。大人びているものの、純粋さをなくしていない。あまりにも純粋であれば、ラッセル・クロウは離れてしまったに違いない。どこか危なっかしく、生意気なのに、最後の最後には弱さと純真さをのぞかせる。

 

 

・車社会の暗部と、その輝かしさ

 この映画はバカみたいな陰謀論物ではあるが、アメリカの持っている車社会に対してのアンビバレントな考えを表出している。

 この映画は車会社を悪役にしているが、主人公たちが乗っている車は常にきらびやかで、カッコいい。特にライアン・ゴズリングはシーンが変わる度に新しい車に乗り換えているようだ。

 アンガーリー・ライスを助けに行くシーンもそうだ。ライアン・ゴズリングは真っ赤なスポーツカーに乗り込み、さっそうと(それこそヒーローのように)走りだす。そして、アンガーリー・ライスを助けるのは主人公ではなく、どこの誰が乗っているかもしれない、通りすがりの車なのだ。ブルーフェイスを殺したのはラッセル・クロウだが、娘を助けたのは、謎の車であった。それは、何かを暗示しているのかもしれない。

 結局、アメリカを作り上げたのは車なのだ。デトロイトであり、その中で汗水を流して働いてきた男たちなのだ。そして、彼らは忘れられた。

 最後に、結局は車は来るぞ、と言い残す悪役言葉は、その通りだった。

 今のアメリカ社会は、デトロイトの男たちによる革命なのか。忘れるな、という叫びなのか。