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【ネタバレ】敬意をもって生きていこう~『ジョン・ウィック:チャプター2』を観て~

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 キアヌ・リーブス主演、大ヒットアクション映画の2作目『ジョン・ウィック:チャプター2』を観てきました。

 前作も楽しく観させてもらって、今作もすごく楽しめました。キアヌ・リーブスを始め、制作陣のほとんどが「楽しいB級映画を作ろう」というスタンスで挑んでいることが伺える、非常にエンタメに特化している作品だと思います。

 今作は、良い意味でのB級感に加えて、こういったジャンル映画の良さとは何か、ということを、いい具合に落とし込むことが出来ているのではないか、と思いました。

 以下、箇条書き。

 

・1作目からのブラッシュアップ

  1作目については色々な言い方で褒める人はいると思うが、個人的には「ババヤガ(ブギーマン)おじさん」と、やけに打ち込まれる字幕の2つが面白かった(両方共ババヤガおじさんのシーンやないか)。そして、それが今作にも生かされているのが笑えた。

 きちんと映画の最初の方で「ババヤガ」とか言ってくれるし、手話の敵役がいたことで、ずっと字幕が使える。ここまでして字幕を使いたいか、と笑ってしまった。カッコいいんだけどね。

 あとは、全体的な世界観の深みを、より説明していることで2作目として面白さの持続が出来ていることは感心した。世界観の作り込みは前作の良い点の一つだったが、今作はその部分を掘り下げ、発展させたことで、凡庸に終わらせる2作目とは違う、きちんとした脚本になっていると思う。その世界とは、殺し屋たちの世界であり、そしてその殺し屋たちを支える人間たちの世界だ。

 やはり、007シリーズでのQのように、殺し屋たちが使うおもしろガジェットや武器を開発、調達する人間は、それだけでキャラクターとして面白い。色々な幅(階級であったり、人種であったり)をもたせることができるし、演出の仕方も遊べるのだと思う。

 今作、ジョン・ウィックがローマで仕事を頼む、様々な人間たちはまさにその面白さに満ち溢れている。このシーンは、銃撃戦のシーン以上にワクワクさせる、この映画の白眉だと思うが、同時進行で色々な資材(武器、情報、防弾服)を調達する場面を見せているのだが、そのシーンに出てくるジョン・ウィックの相手が全員魅力的だ。例えば、1人は古ぼけた古書店?のオーナーであったり、1人は服屋か紡績工場のおばちゃんであり、更には高級テーラー。それぞれが隠語を使ってみせたり、それぞれの仕事の仕方、それぞれの流儀を感じさせることのできる、素晴らしい演出だと思う。

 そして、誰しもが最後にジョン・ウィックに声をかける。「良い狩りを」など。プロフェッショナルさがある。最後の方はギャグになるほど。

 

・これ一作で語ることはできないし、したくもない

 今作は、前作の『ジョン・ウィック』が予想以上に売れたことで作られた、言わば「ご祝儀」である。もちろん、今作なりの面白さはあるが、それもやはり前作の中にあった要素をクローズアップしたものであって、今作だけの良さかといえるかは微妙である。

 ジョン・ウィックをもう一度観たい、ジョン・ウィックのいる世界をもう一度味わいたい、というファンに向けたサービスであり、その世界観を作り上げた制作陣に対するボーナスであったように思う。

 

・『ジョン・ウィック』の魅力

 当たり前の話だが、この作品の面白さはジャンルムービーとしての面白さもあるとは思うが、やはり大きな魅力は、主演がキアヌ・リーブスである、という点にあると思う。

 というのも、『ジョン・ウィック』という作品が出る前(今でもそうかもしれないが)、キアヌ・リーブスという俳優の評価は高いものではなかった。『スピード』や『マトリックス』の成功があったにも関わらず、近年はビッグバジェット作品ではことごとく外し、演技もできない大根で、時々変わり者の一面でネットを賑わすくらいの俳優だった。それが、『ジョン・ウィック』の主人公と、面白いくらいにマッチした、ということだ。引退まではいかなくとも、俳優としての旬は過ぎた、と誰しもが考えていたわけだ。

 ジョン・ウィックというキャラクターの魅力は、そういったキアヌ・リーブスが「キアヌ・リーブスであり続けた」ということが全面に出てきてるが故の魅力である、と思う。これはもはや、セガールやジャン・クロード・ヴァンダムと同じ世界に片足を突っ込んでいると言える。ヴィン・ディーゼルも似たような存在で、そちらの方が似ているかもしれない。

 

・至高のドタドタ感

 例えば、映像的に非常に作り込まれている中で、実はそこまでキアヌ・リーブスの立ち居振る舞い自体は、洗練されたものではない。「ガン・フー」という名前で呼ばれる、銃と肉弾戦の組み合わせも、わりとドタドタしていて、格好良く敵を次々殺していくというよりも、なんとか頑張って大勢の敵をなりふり構わず倒している、という風に見える。それが悪いわけではなく、元ネタ?というか、銃撃戦と近接戦闘を組み合わせた戦闘術である「ガン=カタ」(『レベリオン』で出てきたトンデモ武術)と比べて、より泥臭く、よりリアルな戦闘スタイルは、確実にこの作品の良さにつながっている。

 このドタバタ感は、リアルさを出すことにも寄与しているし、ジョン・ウィックというキャラクターが一度は引退した人間である、ということを表現しているようにも見えるし、尚且つ、キアヌ・リーブスっぽさすら表現しているようにも思う。と言うより、今までのスタイリッシュな映像の中で、格好良く決めポーズをとっていたキアヌ・リーブスが、本当の姿を見せているのではないか、という感動がある。

 まぁ、実際の所どうだかは分からないのだが、色々と漏れ聞こえてくるキアヌ・リーブスの生活を総合すると、どう考えてもちょっと天然というか、どんくさそうな人だな、という感想を個人的には持っていた。なので、ジョン・ウィックのどんくさそうな動きは、すごくしっくりと来た。

 それが感動した、というのは1作目に対する個人的な評価だ。そして、2作目もそれは変わらない。

 ドタバタと、現実に対してなんとか対処していくその姿は、映画俳優キアヌ・リーブスの生き方と同じだからだ。

 

・物語としての面白さ

 この作品の根幹となるような言葉が、今回敵より出て来る。それは「ジョン・ウィックは、復讐をしたいだけだ」というものだ。ありがちながら、面白い話だ。そして、復讐するという精神は、動物には本能的に備わっているものだ。

 そして、人間だけがその復讐という本能を、社会との契約によって縛られている。野生の動物、群れを作る動物にももしかしたらあるのかもしれないが、人間は掟や法律を作ることによって、復讐の連鎖を終わらせようとしてきた。有名なハンムラビ法典などは刑法であった。目には目を、しかし、それ以上のことは許さないよ、というものだ。

 しかし、それが足かせになることもある。それは別に、社会全体からしてみると、その個人が我慢をすればいいことだ、とも言えるかもしれない。しかし、世の中には掟や法律では縛り切ることの出来ない「怒り」もある。それと同時に、そういった「怒り」を覚える相手も、存在するということだろう。

 『ジョン・ウィック』1作目が出た時の「犬でここまでやるかよ」という言葉は、それ自体はギャグだが、真面目に考えてみると、人が何を大事にしているかは、他人にはわからない、ということだ。例えば、今作の宣伝では「犬の次には家を焼かれた」とあるが、実は家ではなく、家の中にあった妻との写真であり、思い出を焼かれたことが復讐の動機となっている。今作冒頭の、車を強奪することも同じである。

 他人の心はわからない。だからこそ、一定の尊敬を誰に対しても持つべきだな、というのが個人的な感想だった。というか、こういう映画を見るたびに思う。『イコライザー』とか。マッコールさんに勝てるやつなどいないのだ。