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【ネタバレ】小さなことからコツコツと〜『メアリと魔女の花』を観て〜

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  米林宏昌監督作品の『メアリと魔女の花』を観てきました。

 『思い出のマーニー』は割と面白かったというか、ジブリでこんなことするんやな、という感じだったので、そんな人が魔女物をやったらどうなるか、と思って観に行きました。

 ツラツラ書きます。

 

・子供向けであり、大人向けではない

 ジブリの作品は大人でも鑑賞できるような内容が多かったが、今作品は子供向けであり、大人の観賞には耐えられるものではないと思う。少なくとも、脚本自体はご都合主義というか、あまり筋道立てて考えずに作ったな、という印象。

 

・メアリの表情や仕草がかわいい

 キャラクターの魅力という点では、主人公メアリは可愛かった。特に、絵柄はジブリっぽいのに、表情は今までのジブリ映画には見られない感じのものが出るときなどは、可愛さが増しているように思えた。

 

・映像はきれい

 ジブリらしい背景などすばらしかった。終わり付近の実写のような草木に、ジブリらしい絵柄が被っていくところなど、実験的でもあるが良かった。

 

・忘れられたメアリの成長

 この映画を見ていて残念に思ったことは、メアリがこの事件で何を得たか不明瞭である、という点に尽きる。

 元々メアリは、自分の赤毛を毛嫌いし、それを挽回すべく色々なことに手を出し、失敗していた。一見、そこにあるのは自己嫌悪に思えるが、それは逆だ。彼女は自己愛にまみれている。メアリは自分が、現状の評価よりも高い評価を得るべきだと考えている。だからこそ、理想的でない自分が許せないのだ。そんな彼女に、変身できる魔法は魅力的だったろう。

 その証拠に、彼女は謝ってはいるものの非常に自分勝手に振る舞っている。例えば、黒猫に対してすら「あんたも不幸よね」と失礼極まりない言葉を投げかけていた。その言葉自体は子供らしい身勝手さとも言えるが、そこから成長し、自分自身であるということを誇るようになる、ということがこの映画で語られるべきではなかったか、と個人的には思う。

 多くの子供は成長するにつれ、大きな自己愛から脱却するものだ。そして、他人との相対的な世界に生きていく。その中で、自分さらに獲得していく。そういう要素がないのなら、ここ物語でメアリが得たものは何だったのか、という話になる。

 

 ・魔法は悪者か?

 この映画で更に気に障ったのは、魔法に対する扱いの浅薄さだ。そもそも、魔法世界の描き方が足りない。

 あの魔法大学という所でさえ、出てきた教員は二人だけだ。しかも校長と化学の教師だけ。もっと出さないと、大学と言うにはお粗末すぎるように感じる。学生の数は多いのに、あの二人だけで回しているのだろうか。

 一応、他にも魔法大学は存在して、この大学は特に「変身魔法」について研究が盛んである、という趣旨にはしている。しかし、その理由はあまり明かされていない。というより、最初の「不法侵入者は変身させる」という文言のためだけにやってるように見える。正直、そんな大事な分野なら罰則に使うのはどうかと思うが。

 例えば、あの大学を作った魔法使いが「変身魔法は、必ずや世界を良くする」みたいな精神を持っていて、だからこその大学を作った、とかなら分かる。それくらいにしてくれたらよく分かる。

 ここで自分が何を言いたいかというと、「魔法は使い方によっては便利で役に立つ」ということであり、そこを蔑ろにしたらこの映画そのものが無意味なものにならないか、というものである。

 この映画で目指すべきラストは「魔法世界から、現実世界へメアリが帰っていくこと」であり、そんなことは分かりきっている。問題は、何を持ち帰ってくるか、ということに尽きる。

 メアリがラスト付近で「魔法なんかいらない!」と叫ぶシーンがある。この発言は「魔法がなくてもやっていける!」という意味なのだと思うが、正直あった方が良いに決まってる。ピーターは母親の手伝いをよりできるようになるし、メアリも変身魔法で見た目を変えられるかもしれない。そもそも、メアリが魔法世界から家に帰るためには魔法の杖がないと帰れないのだ。それなのに魔法はいらないなんて、よっぽど子供らしい恥知らずなセリフだと思う。

 別に、このセリフが悪いのではない。このセリフを言わせる準備が足りないことが問題なのだ。

 このセリフを言うためには、メアリやピーターが現実世界を認め、そこで生きていく決意をしなくてはならない。魔法があれば、全てがうまく行くかもしれない、しかし、それでも私は現実の世界を、この赤い髪のまま生きていく、という、決意が必要なのだ。この映画にはそれがない。ただ一方的に魔法を悪者扱いして終わらせている。だが、それは違う。

 確かに、教授や校長は悪人だったかもしれないが、彼らは彼らなりに、世界をより良くしようとしていたことがうかがえる。花の力を使えば、ピーターやメアリでも魔法が使えるようになるのだ。そして、その研究をしていけば「世界が変わる」と言ったのだ。それ自体が悪いことだとは思えない。

 その方法を間違えただけだ。そして、彼らは悪くとも、魔法自体は悪いものではないのだ。というかそうしないと、現実世界へ帰るという選択肢の重さが失われる。

 

・校長と教授の悪の置き方は悪くない。

 常道だと思う。「世界を変えたい」という願いは、ある意味でメアリの写し鏡だからだ。メアリもまた、一歩間違えればそうなっていたかもしれない、という意味で。だからこそ、「彼らを打倒する」=「世界を変えず、自らを変える(魔法無しで)」という物語は分かる。ただし、そこの書き込みがあまりにも足りないというか、分かりにくい。

 

・「大きな力には大きな責任が…」と言いたいのだろうか

 ラストのシーンは、おそらくは原子力発電所の事故を思い起こさせる意図があったのだと思うが、そこまで盛り込んだら分かりにくさが増すだけではなかったろうか。入れるなとは言わないが、もっと入れないといけない話を捨ててまで入れると「いや、逆効果なんですけど」と思ってしまう。

 この話はもっと卑近なものだ。というより、矮小なものだ。一人の女の子が、自分の髪の色を気に入る/許すまでの話だ。そこを蔑ろにして、ベンおじさんのあれはないと思うが。